夏目漱石の作。初出:明治45年1月〜4月「朝日新聞」 「門」以後、約一年半の空白をおいて発表された。その間、修善寺で胃潰瘍のために吐血したり、5女ひな子が急死したり、入院生活を送ったり、さまざまな痛手が漱石をおそっている。「久しぶりだからなるべくおもしろいものを」と漱石は「緒言」に書いた。六つの短編と「緒言」「結末」とで構成されている。
彼岸過迄 (新潮文庫)
彼岸過迄 (岩波文庫)
寝しなに『彼岸過迄』を読んだ。一月くらいかかった。 【彼岸過迄】 このタイトルはカッコ良いのだが、実は内容とは無関係。大病から復帰した漱石が、新聞小説を連載するにあたり、彼岸過ぎまでには終わらせると言ったことが、小説のタイトルになった。 まえがきで漱石は「自分は何派でもないが、面白い小説を書きます」というようなことを述べている。また、大体の素案はあるが、書いてみないとどういう方向に進むかも分からない、とも書いている。 【中途半端な探偵】 例によって、主人公は無職でぶらぶらしている敬太郎という若い男である。村上春樹の小説でもたいてい主人公は無職の暇な男であるが、そういう世間から外れた、ぽっかりあ…
先日夏目漱石の彼岸過迄を読みました。「彼岸過迄」というこのタイトル、彼岸過迄に書き終えようと思っていたからこのタイトルにしたとのことでした…! タイトル適当過ぎるやろ!と思いました。主人に面白おかしくそのことを話しましたが、少しして自分のブログのタイトルも散々であることを思い出しました。毎度、どうしていいか分からず、本文中から単語を抜き出すのみ。平凡。ひねりの無さ。笑 …どうして私って、自分のことは棚の上にあげて物を見る癖があるんでしょうね。 しかも今回の相手に限っては、文学会のディフェンディングチャンピョン、夏目漱石様に対してでした!爆 身の程知らず! 怖い。笑 怖いといえばウチの息子です。…
夏目漱石といえば日本の国民的作家だ。 夏目漱石は『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』、『三四郎』、『こころ』、『夢十夜』などの多くの名作を生み出した。特に『こころ』や『夢十夜』は高校の国語教科書にも載っているので、読んだことがある人は多いはずだ。少し前では千円札の肖像画としても描かれていた。 そんな国民的作家の夏目漱石だが、「前期三部作」と「後期三部作」と呼ばれる作品群があることをご存知だろうか?高校の国語の授業で聞いた人も多いかもしれない。 「前期三部作」と「後期三部作」は、それぞれある特徴を持った夏目漱石の作品群のことをいう。 前期三部作は『三四郎』、『それから』、『門』の3作品だ。 それに…
彼岸過迄 (新潮文庫) 作者:漱石, 夏目 新潮社 Amazon 前半は謎が物語を引っ張る。額にほくろのある正体不明の男を調査するなんて、まるっきり探偵小説のノリだ。蛇の頭が彫られたステッキとか、文銭占いでの奇妙なお告げとか、怪しげな小道具も雰囲気を盛りあげる。先がどうなるのか気になって読み進めた。 後半「須永の話」からジャンルが変わったように感じた。ここからは須永と千代子、二人の心がテーマになる。理性の人須永と感情の人千代子は、お互い惹かれながらも一緒になることができない。その苦しさが書かれている。 * * * 「彼岸過迄について」という漱石の前書きの中に、次のような記述がある。 かねてから…
『彼岸過迄』は、夏目漱石の後期三部作と言われるうちの一冊だ。 実は高校を卒業したころに買ったきり、しばらく本棚の肥やしにやっていた。高校の教科書に載っていた『こころ』が好きで、別作品も読んでみようと思って買ったのだと記憶している。 しかし、もともと『こころ』を好きになった動機が不純であり(「先生」と主人公の関係にときめいていた・・・・)、本書にも勝手に萌え要素を期待して勝手に裏切られ、最初の数十ページで止まったままになっていた。なのでかなりしばらくぶりに、ふたたび開いたことになる。本作は、大学を卒業したばかりでまだ働き口を見つけていない敬太郎が、同じ下宿先の森本や、大学の友人である須永の話を聞…