奈良時代から平安時代、全国70余りの律令国の行政・司法・軍事の中心地として国府が置かれた。さらには国分寺や国分尼寺も置かれて、宗教的にもその国の中心地となった。役割としては現在における県庁所在地に相当するし、実際に多くの県庁所在地の発祥は律令時代の国府に遡る。奈良や京都を古都と言うが、全国各地に同じぐらいの歴史のある都市が散在していることになる。 律令体制の弛緩と武家勢力の台頭によって国府の地位は下がり、地域の一都市に過ぎないほどになったところもある。しかし江戸期に再び城下町として整備されて復権を果たした都市もまた多い。 ただし、藩の所領が複数国にまたがっている場合は、一つの国府所在地が城下と…