鎌倉時代の1221年5月14日、承久の乱が起きます。 後鳥羽上皇が武家政権の鎌倉幕府に対し兵を挙げたのです。 (朝廷の収入源が原因) 承久の乱は、朝廷をないがしろにする鎌倉幕府への反抗ですが、もう1つ経済的な意味もあります。 それはお金です。 鎌倉幕府ができる前までは、朝廷や貴族は全国にあった「荘園」からの租税収入がありました。 しかし、鎌倉幕府が成立し地頭を置いたことから朝廷や貴族はこれまでのような租税収入を期待することができなくなりました。 収入ダウン、経済封鎖であり、これは大きな痛手です。 朝廷側は、この経済的貧窮を何とかせねばと必死でした。 (源氏滅亡) 1219年3代将軍、源実朝が兄…