復興カレンダーを使い続けるのは、忘れないため。あの日から、10年。 あの日(とその翌日から)の断片。 国会中継を見ているさなかでの速報、先に揺れ始めた国会、不安げな議員さんの顔が見えた次の瞬間にテレビが消えた。 今も、揺れは覚えてる。パニックを起こしている部分と冷静に次の行動を考えている部分と。 相方に帰宅をするなと伝えたこと(会社の同僚の実家にお世話に)、翌日、帰ってきた時の姿、物が消えたスーパー、学童の子供たち、東京出張からそのまま幕張に応援に駆り出されて大阪に帰れなくなっていた妹、公演の中止、原発事故、毎日チェックしていたモニタリングポスト、子供たちの外遊びをどうするか、何が安全で何が安…