江戸幕府,第2代将軍 徳川家康の三男。
兄の松平信康・結城秀康や弟の忠吉と比べ戦下手であったと伝えられ、関が原の戦いでは30000の軍勢を引き連れながら、真田氏が篭る兵力2000の上田城を攻略できず、本戦に参加できず、大阪の陣では早く戦場に着くことに執心し、強行軍で兵を移動させたため、兵がことごとく疲弊し、家康に叱責されている。
「神の君へ」から来年の「光る君へ」 もう片手で数えれば2024年が来る。年末だ。毎度のようにああだこうだに追われて年の瀬を迎えているが、気づけばまだ「どう家」最終回について書いていなかった。下手すると来年の大河「光る君へ」が始まってしまうじゃないか。 NHK大河ドラマ「どうする家康」第48回(最終回)「神の君へ」は、もう10日以上前の12/17に放送された。この記事を12/29の総集編前に書き始められて良かった(アップできるのは後かもわからないけど😅)。 最終回サブタイトルの「神の君へ」は明らかに来年大河の「光る君へ」を意識したものだろう。Amazonで発売されていた脚本をチラ見したら、最終回…
砲撃にさらされ過呼吸の千姫。秀忠も泣く NHK大河ドラマ「どうする家康」は大詰めの第46回「大坂の陣」を12/3に放送した。あらすじを公式サイトから引用する。 豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、家康(松本潤)を呪う言葉が刻まれたという。家康は茶々(北川景子)が徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。激怒した大野治長(玉山鉄二)は、両家の仲介役・片桐且元(川島潤哉)の暗殺を計画。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切る。全国大名に呼びかけ、30万の大軍で大坂城を包囲、三浦按針(村雨辰剛)に用意させたイギリス製大筒を配備。そんな徳川の前に真田丸が立ちはだかる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「ど…
関西で、京都に寄ったので、オーバーツーリズムを避け、 二条城から大徳寺と、紅葉狩り。 信長から、秀吉、家康、石田三成に、小早川、畠山、大友など 戦国有名大名に、ゆかりのある名所旧跡です。 ◯大河ドラマの示したもの で、もう12月、大河ドラマも、残すところ、大阪の陣、あと3回。 今の大河ドラマも、織田、豊臣より徳川、 主人公だからあたりまえですが、、 二代目も、優秀な秀頼より、臆病な秀忠がよい、 秀吉より家康、の路線できています。 覇権より王道、武力より平和、ヒーローより弱者が優先、 このあたり、どうも偏向しすぎているように思います。 弱者としての女性から、弱者としての男性に、 スポットが当たっ…
戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。 「戦国ヒストリー」は、丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジンといううたい文句で、戦国時代を中心に源平時代から近現代史まで、時代もジャンルもバラエティに富んだサイトです。 sengoku-his.com 今回の掲載コラムご紹介は「徳川秀忠の隠し子だった保科正之を救った育ての父と母」です。 大河ドラマ「どうする家康」にも登場した徳川2代将軍の秀忠。正室の江は、姉さん女房でたいへんな悋気持ちだったと言われていま…
サブタイトルは「二人のプリンス」でも NHK大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」が11/26に放送された。いやあ、11月もこれで終わり、残るは12月の3回分だけ。視聴者側のこちらの気持ちも急いてくる気がする。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣の下に集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣…
次週は早くも真田丸戦。関ヶ原からの駆け足感。それでも秀頼と秀忠を比較し、次世代を見据えた戦いであることを掘り下げていた。 秀頼と秀忠の能力的なことは別にしても、残された文献から性格を読み取ることはなかなか難しいだろう。実際頼りない秀頼だったり、勇猛な秀忠だったりする設定のドラマや小説はある。しかし今回秀忠が凡人設定で気弱なことに意味を見出しているところはとても面白い。家康もかつては弱腰の主人公だった。天下を治めるには力ではなく民意を尊重した道徳政治こそが王道。武力の統治は己の1代で終わらせる家康の決意が大坂の陣といえる。 戦国末期に生まれ片や関白、片や将軍の2代目という運命。手を取り合える術は…
母に欺かれていた家康 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第44回「徳川幕府誕生」が特別なオープニングと共に11/19に放送された。今回だけのスペシャルバージョンだそうな。今回は1600年の関ケ原の戦いが終わってのひととき、というよりも1611年に手が届く10年もの期間がブワーッと一気に巻き気味に描かれ、家康の母・於大、股肱の臣の平平コンビ(本多忠勝、榊原康政)、そしてドラマでは出てこなかったが家康の息子らが死んでいった。 この間、大坂方の豊臣秀頼が確実に成長していく。一方、家康は天下を返さぬための手を打っていった。 あらすじを公式サイトから引用する。 家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告…
NHK大河ドラマの主人公徳川家康には2人の正室がいました。 築山殿とあさひ姫。 そして正室以外に多くの側室がいました。 「どうする家康」に登場しているのは西郡局(にしこおりのつぼね)、お万の方、お愛の方、阿茶局です。 子連れの未亡人が圧倒的に多かったそうです。 熟女好きというよりは、「子供を産んだ経験のある女性ならば、跡継ぎが生まれやすい」と考えたのかもしれません。 家康には11人の息子がいましたが、後継者となったのは三男の徳川秀忠でした。長男の信康は切腹しており、二男の秀康は母の身分が低く城外で育てられたからです。 家康と違い、秀忠は1人の側室も持ちませんでした。 いわゆる「恐妻家」だったの…
1579年に長丸(秀忠)が生まれると、1580年に秀忠の産土神(うぶすながみ)として浜松城内にあった五社神社が、現在、五社・諏訪神社のある場所に移されました。そのすぐ北側に西郷局が開いたのが先照山心造寺(しんぞうじ)です。 西郷局が奉納した鉄灯篭が2つあったとされますが、戦災で片方が失われ、今は1つだけ残されているということです。遠江49薬師の22番札所で、目の治療に利益があるとされています。 すぐ南側には、五社神社・諏訪神社があります。 賀茂真淵の句碑 大空のはてなく広し霜の朝 五社神社・諏訪神社 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中…
おはようございます。 読書がライフワークになっている 医療業界のコンサルタント ジーネット株式会社の小野勝広です。 企業などでもそうですが、 初代が創り、 2代目で傾き 3代目で潰すなどと言われます。 おそらくこんなケースは多いのだろうと想像しますが 少なくとも徳川家は15代も続いたわけですし、 日本では100年以上続いている老舗企業が 世界一多いとも言われますね。 と言うことはですよ、 続くか、続かないかは 2代目、3代目次第ということですよね。 それなら2代目を学ぼうと思い ピックアップしたのがこちらです。 今回ご紹介する書籍は、 【 小説 徳川秀忠 】 です。 本書をピックアップした理由…
大久保長安 長安の父・大蔵信安は祖父の代より継承された猿楽師(狂言師)であり、その次男として天文十四年、甲斐国で生まれた。信安は猿楽師として武田信玄のお抱えであり、息子の長安は信玄の家臣となり武田領の黒川金山などの鉱山開発に従事していた。 その後、信長・家康連合軍の侵攻(甲州征伐)により武田家が滅亡すると、長安は鉱脈発掘に長けた山師の才能を認められ家康の家臣として仕えるようになった。更に長安は大久保忠世の長男・大久保忠隣の 与力に任じられ、姓を大久保に改めた。そして、甲斐の内政再建を任された長安は釜無川や笛吹川の堤防復旧や新田開発、金山採掘に尽力し、わずか数年で甲斐の内政を再建した。この実績を…
先日投稿した「東海道を歩く 32.藤川駅~岡崎公園前駅」では岡崎市街地をめぐりつつ東海道を歩いた。しかし同行していた友人が「今日だけだと岡崎で行きたい場所に行ききれないから、また行く必要があるなぁ」と言った。友人も神戸に住んでいるため、そう簡単に岡崎には行けないだろう。今回は3連休で、4月にも取材に行く予定なので1日岡崎をまわっても大丈夫と判断し、「明日、岡崎まわる?」と聞くと友人は嬉しそうに「うん」と言った。今回は岡崎をまわった日の記録である。 「東海道を歩く 32.藤川駅~岡崎公園前駅」はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.岡崎城 2.カクキュー八丁味噌 …
干し数の子を買いに築地場外に行った2019年12月18日のこと…… 「築地本願寺」(中央区築地3-15-1)……初めてお目にかかったが、すばらしい建造物だった。浅草近くに創建されたが「明暦の大火(1657年)」で焼失してしまう。再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所。土地と言っても当時は海上であり、埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」の名の由来だ。南無阿弥陀仏…… 駅からこの広場を横切るだけのつもりだったのだが、建物正面の新大橋通り側が私を呼んでいた。 「親鸞聖人」は江戸城に向かってお立ちだ。 手前の丸いのは「台湾物故者の霊」と書かれていた。台湾から引き揚げられずに亡くな…
生きて候 上【電子書籍】[ 安部龍太郎 ]価格: 605 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 後に徳川家康の参謀として活躍する本多正信の次男として生まれた本多政重だが、生まれた頃父正信は、徳川家から出奔して加賀一向一揆衆に紛れ込んでいた。信長の一向衆への攻撃が迫り、母は門徒として殉死するが、正信は母の願いで子の政重を連れて逃げ、徳川家中で武勇を誇る倉橋長右衛門の養子となった。義父の影響で政重は83㎝もある大身槍を使う武勇の士に育ち、本多正信を愚弄する武闘派の本多忠勝や榊原康政からも、一目置かれる存在になった。 ある日親友が徳川秀忠の寵臣と争い、喧嘩両成敗の所を兄の本多正純が不公平な扱いをしたこと…
戦国時代の大和国(現奈良県域)では南北朝の争乱以来、激しく抗争する二つの国人がいました。 一つは添下郡筒井(現大和郡山市)を本拠として、戦国後期に大和の覇権を握る筒井順昭・順慶父子を輩出した筒井氏。 そしてもう一つが、高市郡越智(現高取町)を本拠とした越智氏です。 越智氏は大和南部を中心に勢力を伸ばし、南北朝時代には南朝方主力として活躍した他、応仁の乱では西軍・畠山義就軍の中核兵力として大和、河内、京都を転戦し、一時は筒井氏ら東軍勢力を大和から駆逐して北和にも勢力を広げました。 戦国後期には一族間の争いもあって衰退し、近世初頭に筒井順慶の策謀と家中の混乱により滅亡しましたが、越智氏は筒井氏と並…
www.shochiku-tokyu.co.jp「仁義なき戦い」シリーズや『復活の日』(1980)などを監督した深作欣二による時代劇。 1623年の江戸時代を舞台に、2代将軍・徳川秀忠が急死したことから、3代将軍の座をめぐり秀忠の長男・家光と次男・忠長の争いが繰り広げられる模様が描かれます。 徳川家の勢力争いにフォーカスした今作。そのため、萬屋錦之介を初めとした当時の人気俳優が共演しているのが見どころとなっています。 勢力争いに柳生一族がどう関わってくるのか、そのストーリーにも注目です。放送情報柳生一族の陰謀 BS260 BS松竹東急 2024/4/21(日) 12:00-14:30<過去の放…
序文・豊臣秀吉の従兄弟 堀口尚次 福島正則は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日本の武将で、大名。賤ケ岳の七本槍、七将の一人としても知られている。安芸国広島藩主、後に信濃高井野藩の初代藩主。 永禄4年、市松〈幼名〉は尾張国海東郡二ツ寺村〈現・愛知県あま市二ツ寺屋敷〉で桶屋を営む福島正信の長男として生まれたという。しかし、父・正信は義父であったともいわれている。母は、秀吉〈のちの豊臣秀吉〉の母〈のちの大政所〉の妹〈秀吉の叔母〉にあたる人物である。少年に成長すると、母を通じた縁で秀吉の小姓になる。 元和5年、家康死後まもない頃、台風による水害で破壊された広島城の本丸・二の丸・三の丸及び石垣等…
安土桃山時代の出来事を年表にまとめた。 安土桃山時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 室町時代 後は 江戸時代 関連記事 安土桃山時代の概要 安土桃山時代の文化 安土桃山時代の出来事 1557年 (弘治3年) 正親町天皇 即位 1568年 (永禄11年) 9月 織田信長 が 足利義昭 を奉じて 上洛 1568年 (永禄11年) 11月 足利 義昭 15代将軍に 1569年(永禄12年) ルイス・フロイス 来日 1570年 (元亀元年) 石山合戦 1571年 (元亀2年) 比叡山焼き討ち 1573年 (元亀4年) 7月槇島城の戦い 1573年 (天正元年) 9月 一乗谷城の戦い 1…
吉川永青著『家康が最も恐れた男たち』を読了しました。本書は、徳川家康が天下統一を成し遂げる過程で出会った八人の男たちをテーマにした連作短編集です。 家康といえば、冷静沈着で計算高いイメージが強い人物です。しかし、本書では、そんな家康が「恐怖」という感情を抱えていたことが描かれています。 家康を震え上がらせた男たち 「恐怖」を糧に成長した家康 「恐怖」は成功の鍵 歴史の裏側に隠された人間ドラマ 家康を震え上がらせた男たち 家康が恐れた男たちとは、織田信長、豊臣秀吉、前田利家、石田三成、真田幸村、伊達政宗、毛利輝元、そして徳川秀忠です。 信長は圧倒的なカリスマ性と軍事力で家康を圧倒し、秀吉は巧みな…
*「どうする家康」で大久保忠世を演じた小手伸也。なんとなく、大久保一族の風貌を彷彿とさせます(NHK) 【あらすじ:中巻】 一向一揆を抑え三河を平定した徳川家康は、武田信玄と不可侵の約を結び、今川の領土である遠江国へ侵攻する。信玄は駿河国を襲うが、その後遠江国へも侵略の手を伸ばし、戦いの火蓋が切られようとしていた。しかし織田は徳川に対して援軍を送らず、家康は三方ケ原の戦いで信玄に完膚なきまでに敗北してしまう。大久保一族も犠牲がでたが、大久保忠世は敗北後に武田軍に夜襲をかけて、徳川軍の意地を見せた。 ところがその信玄が死去する。後を継いだ武田勝頼は、猛将だが軍略と治世の能力に欠け、長篠の戦で信長…
【 天海僧正毛髪塔 】 所在地: 台東区上野公園1 天海僧正は、戦国から江戸初期の天台宗の高僧で諡号を慈眼大師という。 天文5年(1536)、奥州会津郡高田郷(現在の福島県会津美里町)に生まれ、1 1歳で出家、14歳で比叡山延暦寺の実全に師事し、さらに三井寺、奈良で諸教学を学 んだとされる。 のちに江戸崎不動院(茨城県稲敷市)、川越喜多院(埼玉県川越市)などに住して、 徳川家康の知遇を受け、元和2年(1616)、家康が没すると、その神格化にあたり 権現号の勅許を謀り、日光東照宮の基本的構想を立て造営指導にあたっている。 その後も、徳川秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院建立を…
京都の町人。慶長十五年(1610)、日本使節の長としてヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)に渡航した。朱屋隆清と同一人物ともされる。 ヌエバ・エスパーニャへの渡航 サン・フランシスコ号での帰国 朱屋ノ隆清 ヌエバ・エスパーニャ渡航の背景 参考文献 ヌエバ・エスパーニャへの渡航 慶長十四年(1609)九月、マニラからヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)に向かっていたスペインのフィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベーロが暴風雨に遭って日本に漂着する。翌慶長十五年(1610)六月、ビベーロたちは徳川家康から提供されたガレオン船《サン・ブエナベントゥーラ号》に乗って相模国浦賀を出航。同年10月27日にカ…
これも下書きに入ってたんだ(◜ᴗ◝ )… オタク完全に忘れてた///'_'/// オタク写真大量に撮るので(なんでもない風景を)写真行方不明になる前に日記書いてしまわなきゃ〜 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 大阪城入りました 土足のまま入れるのが面白いですね〜(まさにハイブリッド) 金ピカの虎と鯱と菊 天守閣を守るように虎が四方を見守っている… そう言えば入る直前にあったこれ お昼の12時になると時報で空砲鳴らしてたんだって…嘘みたいなホントの話…… ドン💥(豪快やな) 三、四階は写真撮影NGだったのでじっくり展示を見てきました 大坂夏の陣。西軍東軍…それぞれがそれぞれの想いや野望忠義を果たすべく壮絶な…
∩^з ^)∩ こんにちはーーーのろしですもく だいぶ過ごしやすくなってきて お散歩がてら新しいごはん屋さんを開拓するのが楽しい今日この頃もくね 「(・ε・。)キョロキョロ(「・з・) なにかと新しい出会いの多い季節ですが 戦国IXA にも新しい顔ぶれが登場もく 4月 の 追加武将 が 公開されました もく 追加されるのは 【 極 】 井伊直孝さん 南部信直さん 加藤段蔵さん さこの方さん 【 特 】 三好長逸さん 遊佐長教さん 三好義興さん 【 上 】 進藤貞治さん 【 序 】 丹羽氏重さん 以上の 9 名 そして 明智十兵衛さん 細川幽斎さん 和田惟政さん 以上の 3 名 がそれぞれ 新規…
真田太平記(七)関ヶ原(新潮文庫) 作者:池波正太郎 新潮社 Amazon せっかくながら、柿は食えぬ。腹を病んでいるゆえ。 勇将島津義弘(66)を怒らせ、頼もしい宇喜田秀家に愛想をつかされた石田三成。なので毛利輝元に総大将をお願い。 あー、気になりすぎて本陣離れちゃったのね。 忍びの者が息を休めるときはこの世との別れのとき。 本多忠正、忠勝の長男。 上田城渡す渡さないの真田昌幸。結局渡すことにするけど、これも徳川秀忠軍を引き留める時間稼ぎ。 「角兵衛は昔から狂ってますよ。」ですね。 滝川三九郎、一益の孫。 鈴木右近、囲碁と昼寝の毎日。 小早川秀秋(19)、大谷吉継の病状が思ったよりひどくて西…