古くから床の間の掛け軸などにもなって、こすり倒された 「溪聲山色」 「霊雲桃花」「香厳撃竹」 等の言葉。 世間は雰囲気で何となく、 自然は、善心の味方で、 自然を愛でる豊かな心で悟りに近づける とおもってるし、 「見色明心」は、 そういう意味のありがたい言葉 と受け取ってる。 それって、まるっきり違うでしょ。 むしろ、事実は真逆だ。 そもそも、この言葉の出典 『従容録第八十二則 雲門声色』で 声を以て求め、色を以て見れば如来を見ず。 と、見色明心を、解脱を妨げる姿勢と断じ、 聞声悟道、見色明心は、観世音菩薩銭を将ち来たって餬餅を買う、手を放下すれば却って是れ饅頭 と評している。 観世音菩薩など…