三月になるとイライラして、しかたがない。意識的にネットを遮断しないと、ダメだな。 そりゃ私のごときだって、震災の被災者や、ご遺族が、底知れぬおもいを抱えているのを知っているし、毎年、この時季ともなれば傷口がうずくようになるのかもしれない、とおもいもする。 じゃあ、素直に哀悼をしていればいいではないか、というかもしれないし、実際にそうなのだろうが、そうとはいかない、理窟でヤヤコシクせざるを得ないから文章なんて書いている。 文章を書くっていうのは、めんどうくさくするッ、ていうことなんだ。 それとおなじ心底から、追悼という行事を、わたしは美しいもの、こと、だとおもっている。 けれども、それにひっつい…