→ 般若心経
北山宮田二階堂(12月7日) 去年ミュージックソンの差し入れに手作りのおにぎりがあった話 (し~)また今年も誰か、握ってくださいね! (し~)ニカ駄目そうだね?www (し~)でもお母さんのは平気でしょ? (*`∀´*)こないだ実家帰って親父と飲んでる時に、親父はビール、僕焼酎飲んでて (*`∀´*)あんま実家かえんないからさ、どこに何があるかわかんないの (*`∀´*)焼酎どこにある?って (*`∀´*)かあちゃんが「あたし作るよ」って、かあちゃんが手づかみで氷入れたの (*`∀´*)俺それ無理だったの (*`∀´*)掴んだ氷無理なんだって言ったら、ショック受けてた… そりゃかあちゃんショッ…
前から行ってみたいと思っていた一つに京都がありました。 京都は修学旅行で約30年前の高校2年生で行った以来でした。 その記憶を辿りながら、今回は2泊3日の京都小旅行に行ってきました。 本当は、自転車をもってポタリングしながらと思いましたが、今回は京の中心部を重点的に回ったのと、30年ぶりの京都だったので、事前偵察も兼ねて、移動は電車か徒歩に限定することにしました。 前日に東京まで移動して、元同僚と久しぶりに会って飲み明かし、土曜日の朝一番の東海道新幹線のぞみ99号で京都へ移動です。 おなじみのアクシデント その1 オーノー! キャスターが破損です。なんだかガタガタすると思ったのですよ。(;´д…
写経 その ↓ 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、 十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、十九、二十、二十一、二十二、二十三、二十四、二十五、二十六、二十七、二十八、二十九、三十 次男の写経 その → 一、二、三、四、五 万年毛筆 その → 一、ニ、三、四、五 → 「写経」関連の記事 さて本日も写経です。 最近しばらく弘法大師空海の書とされる、 隅寺心経をお手本にしておりましたが、 今日は久しぶりに岸本磯一さんの書を、 お手本にしてみました。 岸本さんの写経は現代の漢字ですので、 隅寺心経と比較すると、 少しだけ時間が長くかかります。
写経 その ↓ 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、 十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、十九、二十、二十一、二十二、二十三、二十四、二十五、二十六、二十七、二十八、二十九 次男の写経 その → 一、二、三、四、五 万年毛筆 その → 一、ニ、三、四、五 → 「写経」関連の記事 酒を飲まなくなって、 夜が長くなりましたもので、 最近一晩に一枚、 般若心経(隅寺心経)を、 万年毛筆で写経しております。 当然のことながら、 斎戒沐浴でもありませんし、 ダイニング隅の書斎コーナーで、 鼻歌交じりのお気楽写経ですので、 もちろんご利益などは、 毛頭、期待しておりません。 ましてや修行に…
これについて書きます。 私は本末転倒の泥棒宗教は、 人間終わりだと思っていますね。 そもそも、 私の家系の三塚は、この志波姫界隈ですから、 鹽竈神社は昔から泥棒だったんですね。 現行で、私は三塚からは、 霊媒エネルギーは全回収したからね。 宮城の馬鹿宗教に霊媒エネルギーは要らない。 下記の伝記からすれば、 志波姫神社から、志波彦神社を造った流れが 纏められています。 昔に、私の家系から、志波姫神社が 盗んでいただけでしょう。 このような、世の中舐めた部落があるので要注意ですね。 霊媒エネルギー制御は、私だけ出来るので。 このような馬鹿な土地である、 塩釜とか、志波姫とか、 与えることも回収も私…
こんばんは。ばたおです。 今日は自分が通っていた高校の話をしようと思います。 僕は大阪の私立の高校に通っていました。残念ながら今は跡形もありません。廃校になってしまったのです。 残念。 今日は、通っていた高校でどんな生活をしてたのかを話していきますね。 どんな高校? 一言で言うと宗教学校でした。 朝礼の前には心経を唱え、時には座禅をくむなど他の学校ではなかなか体験できないことをしてました。 実際にお寺にいって受戒を受けたりもしました。他の人が体験できないことを経験できたのは自分にとってプラスかもしれませんね。 厳しいイメージはあるけど、先生は接しやすく話しやすかったです! 部活 部活もたくさん…
心経簡林 斬柴坳(Tsam Chai Au) 鳳凰山頂 伯公坳(Pak Kung Au) 旺角のデモ跡 心経簡林 天壇大仏を見た後は、石壁水塘までハイキングの予定だ。 来たのと反対の方向に進むと、心経簡林と書かれた分かれ道に入る。 しばらく進むと、何十本もの般若心境が書かれた木柱が立てられた心経簡林に至る。 ちょうど心経簡林の場所で、鳳凰山に登る道と石壁水塘に続く道に分岐している。 石壁水塘はダムに至るなだらかな道で、鳳凰山は海抜934mと香港で2番目に高い山で見るからにしんどそう。 当初は石壁水塘に行く予定だったが、やはり高い所に登るほうが気持ちがいいだろうと思い、鳳凰山に登るのに変更! 天…
20190928 九月は都議選と豊洲問題で明け暮れた。わたしは阿頼耶識から慈悲の瞑想にスイッチした。今まで、四方八方手当たり次第に食い散らかし、道徳を守らないことが成功の証と考え、常に興奮状態にいることが生きていることと実感し、生きがいであった。今も油断すると心が常に興奮状態を欲求する。心は血圧を上げろ、動け、人を論破しろとけしかける。 栄養栄華を極めたソロモンを目指せと心が命じる。 そうして70年生きてきた。 結果、全てを失い、仏教の教えに救いを求める。心経読誦を一年続け、なんか違和感おぼえはじめたころに慈悲の瞑想に出会った。いままで生きてきたことの真逆の考えに出会う。思いが実現していく実感…
いつのころからだろうか? 私には能力があると妄想しはじめたのは。 自分で仕事を始めて間もなくだったと思う。それまでの私は、家族を食べさせるために、他人の足の裏をなめてもお金が欲しいと常に考えていた。ある日幸運が舞い込んだ。幸運と思ったのは錯覚で、家族にとっても自分にとっても不幸の始まりとなるのだが。能力があるという妄想のあとを、「お前には能力はない。単にいま、うまくいっているだけだ」という声が追いかけてくる。 常に不安にさいなまれ、下痢便が10年以上続いた。この不安と戦うために酒をのみ、仕事に没頭し、他人を遣り込めることで自分の優位性をやっとこ保つという繰り返しの毎日。会社を失ってからも、この…