宝永2年2月26日。未(午後1時)前、米倉文右衛門の門外を田辺太左の稽古帰りの石川十左衛門・中根健右衛門・山崎藤兵衛が連れ立って歩いていた。後から目付広瀬助右衛門が母の忌中のため駕籠でやって来て、はいはいと言いながら列を割り込み、棒が十左衛門に当たった。十左衛門はこれを咎めると、助右衛門は駕籠から出て言うには、召仕がはなはだ迷惑をかけてしまったようだ。自分は用向きの書を見ていてこれを見なかったが、勘弁してくれと謝った。この時後から十左衛門の弟子仲間が大勢集まって来た。助右衛門はこの者たちに向かって十左衛門の気がおさまるように召仕をどうすればよいかと云々。誰も返答は出来なかった。そうこうする間に…