一般的には、浄土教系の仏教の宗派や宗教団体において「南無阿弥陀仏」と称えることを言う。 元々の仏教(上座部仏教)においては読んで字の如く、仏陀を念じ釈尊の説く教えや振る舞いとその尊さを思う事である。
仏を念じる念仏以外にも、僧(十大弟子が主たる対象になる)を念じる念僧、法(ダンマ)を念じる念法がある。
4/21に安城にある本證寺の仏教を学ぶ会に参詣しました。三河の一向一揆の拠点として、家康の大河ドラマでも登場した史跡でもあり、とても広く、立派なお寺でした。お恥ずかしいことですが、いわゆる「お寺」に参詣したのは、今回がはじめての体験でした。午前は鈴木規夫先生のお話。「念仏者は無碍の一道なり」の歎異抄のお言葉を通してでした。信を頂いて、変わるところは、「外も内もすべて往生の障りとならない」という点一つであると聞かせて頂きました。逆に言えばそれ以外は何ら変わりないということですね。正信偈の「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」について、存覚上人の「日月の雲・霧に覆はるれども、闇はれて雲・霧の下あきらか…
peing-質問箱-より願成就文の「聞其名号」は私が救われるための大事な御文だと思いますが、ではその「聞其名号」とは、「私が耳をすまして | Peing -質問箱-質問箱には以下のように書きました。 南無阿弥陀仏をすでに称えた事もあり、南無阿弥陀仏のいわれを聞いてきた人からすれば、「すでに聞いていた事実」があります。 すでに聞いていたことではあったけれども、それがその通りだったと知らされるというのが事実に近い表現だと思います。 これに加えて書きます。「聞其名号」については、親鸞聖人はこのように書かれています。 「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑…
大井の山荘の人も どうしているかと絶えず源氏は思いやっているが、 ますます窮屈な位置に押し上げられてしまった今では、 通って行くことが困難にばかりなった。 悲観的に人生を見るようになった明石《あかし》を、 源氏はそうした寂しい思いをするのも心がらである、 自分の勧めに従って町へ出て来ればよいのであるが、 他の夫人たちといっしょに住むのがいやだと思うような 思い上がりすぎたところがあるからであると見ながらも、 また哀れで、 例の嵯峨《さが》の御堂の不断の念仏に託して 山荘を訪《たず》ねた。 🪷🎼哀歌 written by ハシマミ 少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋 ぜひご覧くだ…
みほとけの お釈迦さま の みおしえ すべて まったき 仏教へと 宗門を問わず つながっていて 道元さまの 只管打座 坐禅 ただ 座る 法然さまの 六字名号 念仏 ただ 申す 気づけば ここにも ありがたく つながってくれていた ありがとう 今日 目覚められた いちにち いま あたえられた いまと ありがとう と 起きられた ありがとう 今日は いつもの ひとつ!でも!! の もの捨て始末しながら パパへと パパと わたしと ひたすら 祈る いちにち 春へむかう 嵐の いちにちとなった つよく こわい 風吹く 一生に 一遍 ただ いま ただ 一遍 ただ ひたすら ひたすらに 座る 申す 祈る …
大学地下食堂でのハチヤ君との話しがつづいていた。 ハ「ところで、ノリモさん。小正月の次の日の16日は 『念仏の口開け』の日だって いわれるのを知ってます?」 私「え?15日の休日からの『仕事の口開け』じゃないの?」 ハ「もぉぉ・・・・」 私「ははは・・・念仏ってあの 『なむあみだぶつ』とか『なむみょうほうれんげきょう』 って唱えるあの念仏?」 ハ「まぁ、そうなんですけど。 正月っていうのは、歳神さまを迎えてお祝いするでしょ。 だから仏さまはその歳神様が居る間は遠慮するんですよ。 べつに神さまと仏さまが喧嘩しているわけじゃないけど、 神さまにしたら自分が居る間に念仏を唱えられると、 やっぱり気分…
野菊 野菊 投稿しているのは主に観光名所ではなく 住んでいる鯖江市片上地区の平凡な自然です 平凡な人間が平凡な日常の平凡な野花を愛でるそんな豊かな世界に惹かれています 4~5年前までは年中無休 仕事中心の日々で花や小動物のことなど考える余裕もありませんでしたがふと足元を見たとき知らない花や小さな生き物たちが目にとまるようになりました 見ようとしなければなにも見えてこない聞こうとしなければなにも聞こえてこない 身近な人の姿も見えていないし身近な人の聲も聞こえてこない それだけではありませんお念仏の聲も聞こえていなかったし自分自身の姿も見えていませんでした なにも分からないということが分かるそんな…
今月もにしのみや聞法会でお聴聞させて頂きました。 後半の座談で講師の宮田先生に「信心と念仏」について質問させて頂きました、 この部分は何度でも何度でもお聞きしたい部分であります。 「念仏と信心は離れない、これを切り離して考えるのは間違いであるという事。 信心というのは南無阿弥陀仏の念仏以外には無いという事」をお聴聞させて頂きました。 「南無阿弥陀仏を称える者を必ず救う」の阿弥陀さまの仰せを思い出させて頂き、本日もお念仏を称えさせて頂きます。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏
浄土の教え、念仏とは。今の私の理解は以下の通りです。 煩悩具足の私は、生きている間に煩悩を離れることは不可能です。そのため、我が名を称えるものは死後、必ず我が国「極楽浄土」へ生まれさせる、という阿弥陀仏の誓願を信じ、念仏を称える。私が煩悩から離れるために残された道は、それしかありません。 なぜ、煩悩から離れたいのか、それはその煩悩が私自身を苦しめているからだ、と身に染みて感じたからです。煩悩とは、ただ単なる「欲望」ではないのでしょう。自分を「我(われ)」と感じている、その意識そのものではないかと思います。それがあるがゆえに、欲望を起こすことはもちろん、他人と比較して妬んだり苦しんだり、思い通り…
五木寛之さんの小説『親鸞』を初めて読んだのは四年ほど前です。色々感じるところはあり、前々から感想を書き留めておきたいと思ってきたのですが、なかなか書くのが難しく、結局これまで六回ほど読み返してしまいました。 書くのが難しい理由のひとつは、この本が実に多彩な側面を持ち、様々な要素を含んでいることにあると思います。つまり、色々な読み方ができるのです。 例えば、エンターテイメント小説として、冒険やアクションシーンを楽しむことができます。一方で、歴史小説として、舞台となった時代の風俗や人々の生活を知ることができます。そして、宗教を扱った本として、人の内面を深く掘り下げていくところもあります。 そのよう…
今私は、念仏をとなえる生活を送っています。その心は 本願を信じ念仏をまうさば仏になる(『歎異抄』第十二章) という『歎異抄』にある一節を、そのままいただいています。なぜ、その言葉をいただくのか。それは、やはり同じ『歎異抄』の一節、親鸞聖人の語った言葉 いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。(『歎異抄』第二章) と感じたからです。 私は親鸞聖人のように、「いづれの行」を行ってきたわけではありません。ただ単に、充実した人生を送ろう、そして周りの人とともに幸せを手に入れよう、と私なりに精一杯考え、行動して、これまで生きてきただけです。ですが、結果は虚しいことばかりで、むしろ…
『 #アレルギーっ子の進学 #大学受験 #現地に行ってみた 』 #食物アレルギー_進学 結論 今回大阪に行ってみてよかった! 大学の募集要項やGoogleMAPだけではわからないことの収穫あり! うちのアレっ子が友達とランチ♪ というシチュエーションを考えたり 花粉症なので大学や通学路の木は?スギ?? (スギ・シラカバから逃げたい、舌下免疫療法中。) 住環境&大学周りのリサーチ超大事。 そして高校卒業したら小児科1つでよかったのが 近くの内科 24時間救急受入の基幹病院 皮膚科 耳鼻科 更に眼科、歯医者などなども。 県外に進学したら病院探しが超大変とわかってます( ;∀;) 推薦で進学先を早く…
案内板 「 矢吹町指定民族文化財 大和内の天道念仏踊り 所在地 大和内地区 所有者 大和内地区 大和久の天童念仏踊り保存会 太陽の暖かい恵みと豊作を祈願して天道念仏踊りが、かっ て各地で盛んに行われ、とくに白河藩内は藩主の奨励もあっ て多かったようである。しかし、太平洋戦争後は激減した。 昭和54年9月、20数年ぶりに「大和内の天道念仏踊り」 は復活され、毎年6月14日と6月23日鎮守日吉神社境内 で行われる。踊り手は、青年男子で太鼓、笛の囃子につれて 輪になって踊る。はじめ囃子だけの前奏があってから「きみ ょうちょうらい」 「かみがたくだり」 「さよのなかやま」の 三曲を素手または手拭を用い…
どうも〜皆さんこんにちは! ヌートバーです! ということで始まりました今回のブログ。 前回まで、ずいぶん重く長いブログでしたので今回は軽やかに行きたいと思います。 さてヌートバーと言えば、ワールドクラシックチャンピオンシリーズで「ペッパーミルパフォーマンス」を一躍日本に広めたので有名ですね。 もともとペッパーミルパフォーマンスは カージナルスで行っていたもので、「粘り強くやる」などの意味が込められているそうです。 私もYouTubeなどで料理や魚をさばくチャンネルをよく見ています。 イタリアンの巨匠などが「ゴリゴリ」とかっこよく、ペッパーミルやソルトミルを使っているのを見るとやってみたくなりま…
youtu.be 「ちょこっと気になるニュース」チャンネル登録よろしくお願いします! 寅さんが大統領になっても、梅さんが大統領になっても、 今や、日本は米国の同盟国であり、”ともだち”であるという事を、伝えたかったのかな? でも、だいぶ見えてきましたね。 最初は、何が起きているのかすら、わからなかった感じでした。 内部でおかしい行動を取っているのは、明らかにスパイや媚中です。 今までは、これが偏向報道によって、隠れて見えてなかった。ネットで色々と調べられる時代だから、見えなかった”敵”が、やっと見えるようになってきたわけです。 大きな進歩です! 米国が、対中路線に本気で舵を切ってきた。 この影…
4月23日(火)#旧暦 3月15日 丁巳 大安 除 觜宿#二十四節気 #穀雨 (こくう)#七十二候 葭始生 (あし はじめて しょうず) 三月十五日 木母寺 大念仏 (東都歳事記) 木母寺では、境内の「印の柳」の下にある梅若丸塚の社の扉を開き、騙されてこの地で客死した梅若丸のための大念仏会を行う。 木母寺 梅若塚 (絵本江戸土産) 梅若丸の伝説は謡曲「隅田川」で謡われ、歌舞伎や浄瑠璃でも隅田川物(すみだがわもの)と呼ばれるほど取り上げられている。 ※穀雨(こくう)暦便覧:春雨降りて百穀を生化すれば也 ※毎朝、X(旧Twitter)にて投稿している #旧暦 #二十四節気 の情報と旧暦の日付に合わ…
やりたいけどやりたくない すっかりごぶさたしています。元気です。あけましておめでとうございます。
南無阿弥陀佛金戒光明寺の開宗850年法要の後、能登半島地震で被災した 七尾の知り合いのお寺のお見舞いの為 先ずは金沢に向かい一晩停滞 翌日、8:58金沢発の 「特急 能登かがりび」で 七尾向け出発しました。 途中から、屋根の棟部分を ブルーシートで覆った家が 目につくようになりました 棟をやられると、 雨漏りしちゃうんですよね…… 50分ほどで「七尾駅」に到着 知り合いの和尚さんが 駅まで迎えに来てくれました お寺に直行するのではなく ちょっと大回りして、 被害が特に大きかった所に 案内してもらいました 耐震補強をしていない 古い建物の一階部分がつぶれて 二階がそのまま落ちているのを 目の当た…
何度このような日を迎えたか数え切れないが… ともかく一度でもネット投票に踏み込んだら最後身を滅ぼすのは確定 念仏のようにやってはならないと自分に言い聞かせていく…
第三条は、悪人正機説を明快に説いたものとして、「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は現在でもよく引用されている。 これは悪をなして良いという意味に取るような人はいない。 しかし私の物差しで判断する その善人はどうだろう。 「この様にあるべきだ」ここに罠は無いだろうか… 心の有様を如来に言うならば 「私は如来がなくても善とはこのようなものだと知っております」 最後にたどり着くのは善をこよなく愛する姿では無かったか。 如来に任せられない、任せる気も無い、私はもう素晴らしい姿(考え)なのだから、 もう南無阿弥陀仏は要らないのだと 1番南無阿弥陀仏から離れているのは美しいと我が身の姿や考えを思…
今生きている人間に我が国に生まれんと欲え 生死の枠組が逆転する生死を超えた世界が開け起こる これは 物凄いこと 至心信楽してわが国に生まれんと欲ひて乃至十念せよ 疑いなく私の国に生まれると思いなさい、お念仏を称えて生きなさいと言われているよ。 生きる意味とか目的とか今じゃアレルギー起こすような事を若い時には考えたものだけど、私は若かった。恥ずかしい事だった。 でもこの歳になり連れ合いが亡くなり私の短い命の意味は「如来にあう道場だ」と教えてもらいました。 意味なるものを問いかける人が本当に多すぎる。だけど あえて意味というなら、如来にあうこと 如来にあう道場である それだけが 「生きるという意味…
一遍というのは二つの意味があるらしい。一つは「一日にしてあまねく」阿弥陀の心は我ひとりももらさじ。阿弥陀という一つの存在が、衆生をあまねく包み込んでいる、浄土の教えとはそうものだと。二つ目は「ただ一度だけ」これがよく解らない。ただ一度、南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に行けるのかといえば、そうでもないらしい。ともあれ一遍は念仏踊りで教えを広げ、何もかも捨てて、地位、財産、土地、家族まで捨てて踊り続け全国行脚に出た。初めは乞食坊主のように思われていたが、自然に人があつまり宗教問答や徹夜踊りのようにして衆生を浄土に導くことを念じたらしい。「仏が迎えにくるのを待ち、毎朝、最期のときが近づくのを喜びとする。…
「除名」について、少し書き足りないことがありましたので前回の投稿を(中編)にしまして(後編)を書きたいとおもいます。 親鸞会の「除名」は、組織の中では最も重罪という扱いなので生易しいものではありません。(一旦、組織の外に出るとたいした衝撃力もないのですが) 近藤元講師とは、一緒に「除名」になった後、何度か会ったのですが、それっきりでした。かなり後に亡くなったと聞いて驚いた記憶があります。 近藤さんのブログを整理していたら、以下の投稿を見つけました。ぜひ皆さんもリンクの先を読んでみて頂きたいとおもいます。 21century-shinshu.hatenadiary.com 親鸞会で重職に就き、長…
工事が終わって、一同はほっとしたものの、手術と同じで成功したかどうかは年を重ねてみないとわかりません。ダムの底に沈む予定の桜が移植されたというニュースは、荘川村から移転した元村民の人たちにも伝わっていました。が、その反応は冷ややかなものだったといいます。 「あんなふうにして移植しても、桜は死んでしまう。(中略)がんじがらめにして道路から見えるところで殺すなんて、可哀想なこっちゃ。(中略)念仏唱えて往生させてやったほうがよかった。」 元村民たちにしてみれば、ほとんど幹ばかりとなり、筵で巻かれた日本の桜の姿に衝撃をうけたのでしょう。笹部さんはその反応について次のように書き残しています。 「移植の結…
ゴールデンウイーク、マイナ保険証普及のため税金使って広報すると発表されました。マイナンバーカードが普及すると政府に近い大企業は儲かります。CMや新聞広告を打つと、広告代理店が潤いますし、テレビや新聞にもカネが落ちるのでいろいろ問題があるマイナ保険証を批判しづらくなります。いろいろ利権がからんでいるんですね。庶民にはなんの得もありませんが。 おっとっと、本題に入ります。 ★ ★ ★ すでに書いたように、栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』と原田信男『歴史のなかの米と肉』を立てつづけに読みました。後者にも一遍が出てきます。 死してなお踊れ: 一遍上人伝 (河出文庫 く 20-1) 作者:栗原康 河…