この身このままですでに悟っているので、修行は不要である。 この主張は、どこに誤りがあるか。 つらい修行をすると、楽しい悟りが得られる という 凡夫の思い込み が、ぜんぜん捨てられていない点にある。 悟ったら、修行は不要 は、この愚かな思い込みを、たんに裏返しただけのものだ。 <ブッダのことば 第三 大いなる章二、つとめはげむこと 中村 元訳>から引用します。 425 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために、つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに、 426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいて来ていった。「あなたは痩せてして、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。…