1264年(文永元年)4月29日生まれ、1326年(嘉暦元年)10月30日没。
鎌倉幕府第7代将軍。鎌倉幕府第6代将軍を務めた宗尊親王の第1子で、第88代天皇後嵯峨天皇の孫に当たる。母は藤原宰子。
1266年(文永3年)7月24日、父である宗尊親王が廃された跡を受け、わずか3歳で将軍に就任。鎌倉幕府2人目の皇族将軍。
1270年(文永7年)12月20日、源姓を賜り、源惟康と名乗る。正三位左近衛中将。
1287年(弘安10年)10月4日、親王宣下、二品に叙せられる。
1289年(正応元年)9月14日、将軍位を廃され京に戻される。その際、逆さまの網代車に乗せられて送り出されたため、「親王は京都に流され給ふ」と称された。後継将軍には、後深草天皇の皇子であり、親王には従弟に当たる久明親王が就任。なお、王女の1人は久明親王の妻となっている。