(Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism) 1983年に政治学者ベネディクト・アンダーソンにより発表された著作。 国民国家(ネーションステート)以前において、領民を統合した宗教的共同体や王国共同体などに注目したもの。
定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)
煩悩とメディアの相性が良すぎるというのが、人間の脳にとっては大きな問題なように感じます。問題と言っても仕方ないのですが、どうにもメディアの情報というのは、人間の脳にとっての煩悩の資源になってしまうので、いつでもスマホをいじれば煩悩を生み出してしまって、本当に困ったものです。 人間というのは、ほぼほぼ煩悩とともに生きていると言っても過言ではないので、煩悩の餌としてのメディアの情報を与えられると、ずっとむしゃむしゃと食べ続けてしまいます。いつだって美味しいならまだしも美味しいだけでもないので、味に関係になくつい口に入れてしまって、とは言っても、いつも消化良く排泄されるわけでもなく、煩悩として脳内に…
◯方言特殊詐欺とエトス < 熊本県警によると、風邪声のような熊本弁で現金を要求する電話で、10月だけで少なくとも89件、うち5件で計1950万円がだまし取られた。卒業名簿が悪用されたよう。> 一件あたり平均しても、約400万円という高額です。 特殊詐欺で方言が使われるという新たな手口です。親近感を狙ったものでしょう 自分たちの属する共同体という意識で、思わず同胞として信用してしまう例です。 声の判断力、磨きましょう、と繰り返してきましたが、もっと簡単な対策は、やり取りが長くなる前に、電話を切って、こちらから本人に確認すればよいだけです。 サイトについては、メールで送られてきたURLでなく、自分…
私は会社で会社員として働いています。会社員として働いて15年くらいは経っているように思いますが、いまだにどのように働いていったらよいか分かりません。それが正直なところです。自分も含めてですが、周りの人と仕事をしていて、本当に人の働き方とは多様です。 人は公的であれ私的であれ、色んな種類の仕事にして働いていて、それぞれの仕事場での働き方は、その仕事の性質の影響を受けるとは思いますが、働いているのは結局人ですから、その人の働き方が凄く反映していると感じます。 会社だと、会社にはある目的があって、こういう事を目的に働いてくださいという理念みたいなものや、具体的な結果、成果などの目標があると思います。…
この世界の中で生きていると、会社でも、社会でも、この世界全体でも、それらの影響を受けながら生きていると感じます。会社も、ある組織の構造になっていて、サル社会に見られるようなヒエラルキーの構造になっています。それは、会社としての機能を発揮しやすい構造であったり、その方が分かりやすく回りやすかったりするからだと思います。 でも、その中で生きているのは、人間です。そのような社会構造では、評価の世界であったり、比較の世界であったりします。評価され、評価し、比較され、比較し、優劣を決められたり、決めたりしています。その世界の中で、悦に入ったり傷ついたり、敵対したり安心したりします。 でも、色んな本を読ん…
一般的に、人は、日常に広がる世界と接するとき、人間の身体の性質上、直接その世界を認識する事は出来ず、人間の持つ感覚器官や脳の機能によって自分の中に主観的な世界を創って、その主観的世界をフィルターのように通して世界と接していると考えられています。ユクスキュルという人が100年ほど前に発見した生き物の環世界は、生き物は自分たちの持つ特有の感覚の作る世界を生きている、という事を説明しているわけですが、主観的世界はその概念に本質的に似ています。 今回は、その主観的世界を生きているという上で、「感じる」という事と「フィクション」というものがとても大事ではないだろうか、という事について考えていこうと思いま…
「3 ヴァナキュラーな価値」より ようやく、著者の言う、「ヴァナキュラーな領域」の意味がわかってきた。頭の出来が悪いな。 コロンブスよりも、カスティーリャ王国(大雑把に言うと、今のスペインの母体)にとって重要な人物を取り上げていた。コロンブスが国外拡大ならば、その人物は王権の領土内浸透に重要な役割を果たした。 著者イリイチと言えば、大雑把に言えば、「シャドウワーク」という概念を提唱し、(特に)ジェンダー問題に、社会科学的視点から、キータームを提供した人物として有名。しかし、この論文集を少しずつ読むと、認識が変わる。彼の業績は、それだけに限定されないのではないかと、思われる。むしろ、矮小化してい…
夕食(米たいて肉焼いて昨日のあまりのおかず汁うまい) まんぷく やけに今夜は寒い さっさと暖かい布団にはいろう 今月のフィーヤンかってきたが ブランチラインと発達障害なわたしたちがないのでさみしい まあブランチラインは最新刊が来月発売だし 町田粥先生は吉祥寺少年歌劇でいそがしいのだ えっと 『世界共和国へ』を明日かえすので終わらせたいな~と読んでいる なんかね いろいろ再読したいキーワードが多いので これはコピーしてる場合じゃないので古本で買って(あるいは新刊で 買って)付箋しまくる線を引くのやつかもしれんね 新書だからいいだろ買っても なんというか定義がさ 国家は~ではない みたいなこうなん…
本稿は,外山恒一氏主催・第34回「教養強化合宿」(通称・外山合宿)に参加しての感想・知見を明文化することを目的としている(第1章・第2章).また,これに合わせて,筆者自身が今後の発展学習の参考とするために,講義中に紹介された文献の一部を掲げる(第3章).さらに,「ギャラリー」と題した章に合宿中の写真を時系列でいくつか掲げる(第4章). なお,念のため筆者の立場を表明すると以下の通りになる. ノンポリ・ノンセクト.強いていうなら社会民主主義・ローザ主義. 新左翼運動は歴史学の対象として見ている.学生運動やセクトには一切関わっておらず,今後関わるつもりもない. 参加時点での所属は早稲田大学教育学部…
最近あまりに美術展の感想を書きすぎて雑談とか日記とは離れている感じがしたのだが、はてなブログはトピックに美術鑑賞を持たない。 クラシックのコンサートを聴きに行ったら音楽だし、絵を描いたら創作だし、映画館に行ったら映画があるが美術館はない。旅行先で美術館に行ったら旅行になる。旅をするように生きる、というトラベラーズノートのキャッチフレーズのような思考法であれば家から30分ぐらいのところにある美術館に行くのも旅行だという論理が罷り通るのだろうが、残念ながらトラベラーズノートを使っていない。180度開いてくれないのが心理的に受け付けなくて使えない。それで仕方なく日記・雑談みたいなところにいるので、純…
義務や責任が、もともと個人ではなく地位や肩書に付随していたとは、言われてみればそれはそうか、当たり前に思っていることで疑わしいことはいっぱいあるなあと・・・ P188 ・・・個人を所与とする見方に疑問を抱いていたのがフランス人類学の基礎を形作ったモースであった。モースは1938年の論述において、「個人」がヨーロッパにおいて自明なものになっていく過程に目を向けている。・・・ ・・・ モースによれば、「意識的で独立的自立的かつ自由にして責任ある存在」という、西洋社会の基盤となる人の概念、ここで言うところの個人主義的人間観の萌芽は古代ローマにまで遡る。それ以前、あるいは世界の他の場所にそのような観念…
正体 (光文社文庫) 作者:染井 為人 光文社 Amazon テレビから女性キャスターの〈速報です〉との声が聞こえ、舞はトーストをもぐもぐ咀嚼しながら目をやった。 〈昨夜未明、兵庫県神戸市北区にある神戸拘置所に収監されていた少年死刑囚が脱走したことがわかりました。少年は今から約1年と半年前、当時18歳のときに埼玉県熊谷市に住む一家3人を殺害した罪で、死刑判決を受けていました。なお、脱走した少年は現在も捕まっておらず、警察は全力で少年の行方を追っています〉…… 「そういえばこの犯人、自分を褒めたいとかって言ったんじゃなかった?」 母が思い出したように言った。 「褒めたいって?」舞が訊く。 「死刑…
おとなの教養 2―私たちはいま、どこにいるのか? (2) (NHK出版新書 581)作者:池上 彰NHK出版Amazon 「私たちはいま,どこにいるのか?」 2019年発売.著者は池上彰. 現代はテレビやインターネットで絶え間なく膨大な量のニュースが流れる. 不安や危機感を煽るようなものやセンセーショナルなものが話題になりがちだが,それらに振り回されてはいけない. ときにはニュースを掘り下げて「私たちはいま,どこにいるのか?」を考えるべきだと主張する. そのためには教養すなわち 時代が動いても変わらない普遍的な考え方 日々のニュースを捉え直す力 を身につける必要がある. 本書ではこの力を身につ…
「自分もことを記述する」という試み、文化人類学のみならず、歴史学ではイヴァン・ジャブロンカという人が『私にはいなかった祖父母の歴史』を書いているし、文学でも、アニー・エルノ-という小説家が近年ノーベル文学賞を受賞している。 この『〈沈黙〉の自伝的民族誌』では、著者がアイヌの祖母を持つ人で、「アイヌ/和人」という枠組みについて、「自分の存在が透明になったよう」と感じてきた。その透明さの感覚を原稿に起こし、学術的な理論も紹介しながら、「自分はサバルタンである」として自分のファミリー・ヒストリーについて書く、というのは画期的なことである。 文化人類学では「書く/書かれる」という優位性が問題になるから…
あなたは見ただろうか。1月28日(日)に開催された大阪マラソン2024を。19年ぶりとなる女子マラソン日本記録更新の瞬間を。日本人初の2時間18分台という快挙を達成した前田穂南の走りを。MGCファイナルチャレンジ対象レースとして実施された大阪マラソン2024で女子マラソン日本記録を更新した前田穂南がカッコいい。ラスト、広いストライドでタイムを更新しようと地面を蹴る姿に、スポーツにおける美徳の実践を見ることができた。本当に美しかった。Twitterで野口みずき(旧日本記録)と前田穂南のペース比較を変動グラフにして表現してくれている方がいたのだけれど、野口みずきが高タイムのペースを持続させている…
日本人の目玉 (ちくま学芸文庫) 作者:福田 和也 筑摩書房 Amazon まだ20代の若い頃、ぼくにはさまざまな「仮想敵」がいた。わかりやすく言えば血気盛んな青年でいろんな物事に常に論争をふっかける喧嘩っ早い、はた迷惑な鼻つまみ者だった。具体的に言えばぼくは左翼(というか、俗に言うところの「パヨク」)だったので「ナショナリズム」「愛国心」もそんなぼくの敵として位置づけられていたのだ。 でもいま思えば、どうしてそんなふうに「国」(もっと言えば「日本的なるもの」)を敵だと勝手に思い込んで、読みかじったベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』あたりをソースに(どこまで理解できていたかはなはだ怪し…
1、はじめに 「本を読むこと」の歴史性と「車中読書」 ・「本を読むこと」の歴史性 ・「車中読書」の起源を訪ねて 2、「車中読書」の誕生 ―永嶺重敏『読書国民の誕生』を読む― ・明治初期における最初の登場 ―人力車・乗合馬車・汽船― ・鉄道の全国的拡大と「本格的な誕生」 ・車中読者の「車中読み物」とその「均質化」 ・読書習慣の「均質化」 ・車中読書「誕生」の意味 ・まとめ 車中読書の誕生経緯 3、おわりに 読後の雑感 ・ある「不思議」な読書体験 ・車中読書/車中読者の今昔と「隔世の感」 4、参考文献 5、画像引用元
三つの概念 人類の言葉の歴史を考えるために、次の三つの概念を用いる。 普遍語universal language 現地語local language 国語national language :国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の核心は「国家は文化的被造物だ」ということであるが、最初の三章では「国語は文化的被造物だ」という主張に充てられているといってよいだろう。人類の多くは国語を自分たちが太古の昔から使って来た言葉だと思い込んでいるが、実際はいくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。国語は一旦成立するとその成立過程は忘れられ、…
実家は倉庫ではないのであるが、どうしても実家は倉庫になってしまう。昔詩を読んでいた頃、比較的読まない本を実家の本棚に突っ込んでいたのだが、その後詩を読まなくなった後、家にある詩の本はだいたいぜんぶ捨ててしまったが、実家のほうは手つかずだったので、あまり読まなかった本のほうがまだ生き延びているという逆転現象が起こっている。 本棚に並んでいる現代詩文庫のメンツを見てもさもありなんというメンツしか残っていないのだけど、飯島耕一とか天沢退二郎とか渡辺武信あたりを残しているのは何故だろうかと思う。あの頃は合わなかったのかな。もうここにいないメンツを見ると清水昶とか石原吉郎とか入沢康夫あたりのほうを手元に…
ここで少し趣向を変えてみる。本探索の目的のひとつは近代の出版を通じて、どのようにして「想像の共同体」が形成されていったか、またそこに集ったインターナショナルな人々の出会いはどのようなものだったのかを浮かび上がらせることにある。そのような典型的なトポスとして、『近代出版史探索Ⅶ』1290などで、パリのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店を挙げてきた。だがさらに広範な人々が邂逅したトポスも存在し、戦争と革命の二十世紀の謎と秘密に包まれ、その名前を歴史にとどめ、そこには本探索に登場する人々も、一堂に会していた。 それこそ本探索のアグネス・スメドレーやゾルゲから『近代出版史探索Ⅶ』1289のエマ・ゴ…
##NAME## 作者:児玉雨子 河出書房新社 Amazon 「せつなって、本当にせつな?」 「私」こと石田雪那はジュニアアイドル。事務所に入所する際に母が関係者に促されるまま、ひらがなで契約書に記したのが、「石田せつな」というその芸名だった。 「なんか、美砂乃ちゃんは『美砂乃ちゃん』まで言わないと美砂乃ちゃんっぽくない感じがするんだけど」、そんな「私」のことばを遮るように、彼女は自分のことを「みさ」と呼ぶように懇願した。そうして「わたし」のことを「ゆき」と呼ぶようになった彼女とは対照的に、「私」はずっと「美砂乃ちゃん」という呼び方を変えることができずにいた。 「美砂乃、ばかだから」。 当時の…