涯の恵み(再)2 私が、いちばん嫌になる伝道~説教の形式がある。 これこれを信じますか。 この質問形式は信じたら信仰者信じなかったら非信仰者ということを意識するようだ。 嫌なのは、「これこれ」が超常の言葉で溢れていること。 超常は誰にも分らないことだ。 何を分かって問うのだろう。 さらに超常の言葉を重ねるなら付き合うことは徒労だ。 そこで、何やら、皮肉や、当てつけを言い始める人は信仰者であることを大いに疑う。 聖三位の意志と行為という超常について分かると言う人は信用できない。 分かると言う人は分かっているから考えないし、さらには神の導きがあり信仰があるのだから人がとやかく考えることはよろしくな…