昨年来、豊後探訪において疑問に感じていたことがある。佐伯地方が属した豊後海部郡(佐尉郷、佐加郷、丹生郷、蒲戸郷)の郡衙(政庁)が豊後国衙(国主所在地)や大分郡郡衙の近傍、大野川河口近辺に置かれていたという事実である。穂戸郷と呼ばれた佐伯地方はそこから遥か遠方になる。何故なのだろうか。つまり未だ手が付けられていない名目上の所属ではなかったかということである。この当たりは大和朝廷に歯向かう隼人の勢力に近い地域でもあった。辺境対策の軍隊である佐伯部が地名の由来ということを見てもそういうことにしかならない。少々強引ではあるが今に伝わる名字の中にその傍証を探せないかと考えた。 古代から中世にかけて中央に…