犬の散歩をしながら、自分のこれまでの人間関係が次々と壊れていった原因について考えていた。 過剰な愛想による自己武装、これだと思った。 この行動の癖は、幼少期から沁みついていたものだ。 大人になって、愛想なしで不自由なく生きている人がいることにおどろいた。 人とつながっていたい、人と良い関係を育みたいという意思表示やコミュニケーションツールとして愛想ふりまきは大前提だという思い込みがあったし今も多少はそう思っている。 しかし、愛想良くふるまっているうちに、決まって自分の中でだんだんと限界がきて、愛想のメッキが剥がれ落ちる。 すると人は、わたしに手のひら返しされたような、急に塩対応されたみたいな気…