最後の征夷大将軍となった徳川慶喜。 この人ほど歴史上の評価が分かれる人も珍しいだろう。聡明ではあったが、自らに忠誠を誓った兵を棄てた臆病な将軍という評価もするだろうし、一方では大政奉還をあえて行い、薩長の討幕の動きをいなすといった芸当も行う。 実際傍から見れば慶喜の行動は支離滅裂といわれても仕方がない。大坂城にいた将士たちに「大坂城を死守すべし」と得意の熱弁を振るったかと思えば、その翌日、慶喜はあろうことか、大坂城から逃亡してしまう。側近や老中、会津藩主の松平容保や、桑名藩主の松平定敬らも巻き込んで、開陽丸で江戸へ退却という敵前逃亡。見捨てられた兵たちは悲惨で特に会津藩のその後の悲惨な運命はご…