中国の戦国時代に覇を争った七つの王国、もしくはその王のこと。 秦・韓・魏・趙・斉・楚・燕。 秦を除いた六国を「戦国六国」という。 また、韓・魏・趙を三晋とも呼ぶ*1 *2。
戦国の歴史はこの戦国七雄を主軸に語られることが多いが、実際には戦国初頭にはまだ周王室は存続していたし、 宋・中山・衛・魯・晋*3などの国も細々とながらも生き残っていたのである。
*1:春秋時代の超大国であった晋が分裂して韓・魏・趙になったため
*2:三晋のある国が他の2国を指して三晋と呼ぶこともある
*3:韓・魏・趙に領土のほとんどを取られたが、首都の絳・副都の曲沃は残った
この記事では呉を滅ぼした後の越王勾践が覇者になった後、戦国時代に突入していく流れをまとめていきます。呉、越の移民の行方にも注目です。 1.東シナ海を渡り山東半島へ逃亡した 2.直接九州へ逃亡したか? 越が覇者となる 戦国時代の始まり 越の滅亡 紀元前473年蘇州に追い詰められた呉王、夫差は自害し、呉は滅亡します。 夫差に従っていた呉の民(倭人)や呉の王族は全て越軍に討伐されたのでしょうか。 越王勾践(こうせん)は昔、自分が夫差に命を奪われなかった恩なのか、夫差の命を取ろうとせず島流を命じたといいます。 呉の移民達を執拗に追いかけて討伐することはしなかったのかもしれません。それでは呉の民はどこへ…