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戦車

(一般)
せんしゃ

tank/坦克、chariot/古代雙輪戰車


文字通り、戦闘のための車。普通は現用兵器であるtankのことだが、古代の馬に曳かせていたchariotもこう呼ぶ。
日本語では両方とも「戦車」であるが、これは世界的には例外と言っていい*1

古代の戦車/チャリオット

馬に引かせた戦闘用車両(馬車)。通常は2輪でオープントップ構造である。運転手(御者)と兵士(弓兵が多いか)が乗る。
古代においてはオリエントの諸帝国(アッシリア・ヒッタイト・ペルシア・エジプト)の他、ローマ、中国、インドなどでも使用されていた。
騎兵の発達などにより消滅する。

2〜3名の乗員が乗ることが多く、サスペンションなどは無かった為、乗り心地は非常に良くないとされている。その対策として革や柳など柔軟な材料で編んだ床に振動を吸収させていたり様々な工夫が成されていた。
紀元前から広範囲に渡って使われてきたが部隊運用には広大な土地が必要であり、システム上、御者は操作に集中しなくては成らず、操縦者の他に弓兵・槍兵・剣兵などを戦車に乗車させなければ成らない。そしてどちらか一人が負傷・戦闘不能になると戦闘能力が事実上無くなってしまうのは大きな弱点と言える。
また旋回は御者の手綱捌きのレベルに大きく左右される(引かれる車両に旋回装置がないので、無理矢理車体をスライドさせるドリフト走行のような方法で曲がるしかなく、アンバランスな上に車体自体の強度も低いので熟練した技術が必要になる)ので機動面から見ても、戦力構成から見ても騎兵に比べて大きく劣っていた。その為馬の品種改良による大型化、乗馬技術の向上により部隊的な運用が遙かに汎用性に富んだ騎兵にその座を譲り渡し、歴史から姿を消していった。

中世の戦車

古代の戦車と近代以降の戦車の中間的な存在として、15世紀のチェコのフス戦争でターボル派が用いた「戦車」を挙げることができる。
装甲化された火砲を馬匹牽引で迅速に展開し機動防御を行うという戦術は、フス派討伐に派遣された「十字軍」に対して圧倒的な効果を発揮したが、大軍での戦闘に適応できないこと、ターボル派の市民軍が貴族を中心とする当時の軍事思想において異端だったこと、そもそもこの戦術が指導者ヤン・ジシュカの個人的才覚に依存したものであることなどから、派生することはなく歴史上から消え去っている。

現代の戦車/タンク

装甲板を有する最有力の装軌式戦闘車両。現段階における陸上最強兵器。
絶対的な定義は存在しないが、基本的には敵戦車*2を撃破可能な主砲を装備するとともに、敵戦車との交戦に耐えられるだけの装甲を有する*3
もともとは第一次世界大戦の塹壕戦に対する回答の一つ。塹壕と機関銃弾幕を突破しうる陸上軍艦(移動トーチカ)である。
戦間期にグデーリアンらの先達が出て、機動力に注目して「電撃戦」が開発されたことで陸上戦闘の主役に躍り出る。その後一時期は対戦車ミサイルの発達による無用論なども出たが、複合装甲の登場などもあって健在である。
コスト・重量の増大が限界に近づいていると見られるため、主力戦車(MBT)の登場以来のパラダイムチェンジが模索されている。

基本構造は装甲板(硬質を高めるなどを目的とした特殊鋼板)で出来た箱を二つ積み重ねた構造をしている。車体部分の両サイドには無限軌道・履帯(りたい)クローラー・キャタピラなどと呼ばれる走行装置を持つ。
下の箱を車体、上の箱が砲塔と呼ばれる。横から見た時、車体部分は大きく3つに区分され、進行方向から順に操縦区画、中央部が砲塔の旋回部分がある戦闘区画、後方がエンジンなどが載った機関区となる場合が多い。
主砲である戦車砲は、その時代時代で開発国の仮想敵国が所有する戦車を遠距離から撃破出来る砲が選ばれ載せられることが多い。その他に主砲と並べる形で「同軸機銃」と呼ばれる機関銃が装備されている他、砲塔上部の車長ハッチ付近に対空・近接戦闘用に機銃が装備されることが多い。

履帯は路外走行性能が高く、大重量を拡散させ接地圧を下げることも出来る他、通常の車両では越せないような段差や、脱輪してしまうような溝を超えるのにも向いている(不整地走破性)。
その反面地面との設置面積が広いのと、履帯の構造上抵抗が大きい為(通常の車両に比べ)エンジンの馬力も大きい物が必要とされる。
当然燃費も悪い。

第二次世界大戦当時の話だが、戦車一台の整備には40マンアワー(1マンアワーは成人男性がその作業を終えるのに1時間掛かる事を指す)が必要と言われた程整備に手間が掛かるのも大きな問題だと言える。その為先に書いた燃費の悪さもあり、基本的に戦車は長距離走行には向いているとは言えず、長距離移動には大型のトランスポーターと呼ばれるトラック輸送が理想とされる。

運用には大きな手間が掛かる戦車だが、その火力、機動力、攻撃力は他の陸上兵器の追随を許さず、歩兵が携帯する対戦車兵器が発達した今日においても陸上機動戦力の王者と言へ、欠かす事の出来ない兵器である。

戦車の登場と歴史的背景

近代の戦車が歴史上に登場したのは、第一次世界大戦。
第一次世界大戦と言えば、それまで大規模に使われる事の無かった機関銃や手榴弾、射程距離も長く威力も大きい大砲(野砲)が技術力の向上で大量生産されるようになり(それ以前と比べて)戦場でその威力を見せつける戦争になった。
大戦以前の戦争は歩兵が横に一列で整列し、笛やラッパ等の合図で行進・突撃をするマスケット銃(先込め式の単発旧式銃)戦い方を引きずっており、大戦初期もその戦い方で両軍が戦ったが、機関銃の十字砲火(クロスファイヤーとも呼ばれる機関銃の運用戦術の一つ。二丁以上の機関銃を適度に距離を置いて配置し、お互いの射線が交差するように射撃する事で、一定エリアに効率よく火力を集中する事が出来る)や威力の強力な大砲で甚大な損害を出し、両軍が長大な塹壕を作りそこに立て籠もる「塹壕戦」になり膠着してしまった。
そんな膠着状態が続いてしまった西部戦線の状況を打開する為、1915年3月海軍大臣ウィンストン・チャーチル(後に英国首相)の強引とも言える発案で、海軍設営長官を長とする「陸上船委員会」が設立された。この委員会によって装軌式装甲車の開発が開始された。「水運搬車 (Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていたが、後に短く「タンク」と呼ばれるようになる。(これがいつしか正式名称になり、これ以後戦車一般の名称として定着したのは有名な話。日本では、タンクという名称を当て字にするのではなく「war car」を直訳し「戦車」と呼ぶようになった。中国ではタンクという名称を当て字にして坦克と表記する)そして開発されたのが世界初の実用戦車Mk1である。

しかしこのMk1シリーズは、委員会の名称からも分るように陸上戦艦という趣が強く、砲塔を有して居らず、主砲も車体側面にスポンソンに装着され、当時の軍艦を思わせる外観をしていた。
それに対し少し遅れてフランスで開発された「ルノーFT」という戦車は、2人乗りで現代の軽自動車よりも小さい車両ながら装甲板で覆われた車体の上に旋回可能な砲塔が載っており、車体前方部分に操縦者席、中央部が戦闘区画、後方に機関区を持つ現代戦車と同じ形をしていた。
その為、世界初の戦車はこの「ルノーFT」であるとする専門家も多い。

関連

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*1:一応、ノルウェー語のstridsvognなどは両方の意味で使える単語らしい

*2:つまりは仮想敵の保有する戦闘車両ならなんでも

*3:装甲が軽視された時期にはAMX30が作られたりもしましたが

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