グラフィックデザイナー。1950年、東京生まれ。1980年代以降の装幀・エディトリアルデザインにおいて、デジタル技術(CGやDTP)をブックデザインに取り入れた先駆者的存在。 著書に、『森の書物』(河出書房 1989)、『D-ZONEエディトリアルデザイン1975-1999』(青土社 1999)『デジタルデザイン、迷想の机上 電子思考へ…』(日本経済新聞社 2001)などがある。 鈴木一誌氏と共に『d/SIGN』誌責任編集。
戸田ツトム さん グラフィックデザイナー。 1951年(昭和26年)3月18日、生まれ。2020年(令和2年)7月21日、死去。 訃報 戸田ツトム氏が死去 グラフィックデザイナー :日本経済新聞
#八木幣二郎 #NOHIN #新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです #ギンザグラフィックギャラリー #ggg #DNP #銀座 東京都中央区銀座 7-7-2 DNP 銀座ビル 1F/B1 ギンザ・グラフィック・ギャラリー 第402回企画展「八木幣二郎 個展 NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」開催中です。会期/2024年5月24日(金) – 7月10日(水)時間/11:00am – 7:00pm休館日/日曜・祝日企画制作/亜洲中西屋(ASHU)協力作家/浅葉克己、勝井三雄、亀倉雄策、杉浦康平、田…
(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(32)広告におけるアメリカ/ヨーロッパ 阿部卓也『杉浦康平と写植の時代:光学技術と日本語のデザイン』(慶應義塾大学出版会、2023年)は、20世紀の出版・印刷(メディア)文化にとって大きな存在であった(が21世紀には消失した)写真植字――略して「写植」――の日本での展開を追った大著、労作です。今ではまず写植から注釈が必要でしょうが、一般には「金属の鋳造による活字の代わりに、写真と同じく、レンズや印画紙を使って文字を組む技術」と説明されます。さらに「金属の鋳造による活字」に説明が必要でしょうが、昔は「文選工」という言葉があり、文選(ないし…
2/ 13 (火)19:00〜20:30 藤田重信×川名潤『筑紫書体と藤田重信』(パイ インターナショナル)刊行記念トークイベント ABC本店 https://aoyamabc.jp/products/2024-2-13 筑紫書体と藤田重信 作者:藤田重信 PIE Amazon 現代日本のブックデザイン史 1996-2020: デザインスタイルから読み解く出版クロニクル 作者:長田 年伸 誠文堂新光社 Amazon ユリイカ 2021年1月臨時増刊号 総特集◎戸田ツトム ―1951-2020― 作者:鈴木一誌,赤崎正一,川名潤,水戸部功,長田年仲 青土社 Amazon イラストレーションファイ…
1993年10月、思潮社から刊行された野沢啓(1949~)の第3詩集。装幀は戸田ツトム+岡孝治。著者は東京都目黒区生れ。 『大いなる帰還』『影の威嚇』につづく十年ぶりの第三詩集である。初出一覧を見てもらえばわかるように、前詩集刊行以前のものから数年間にわたって書いた作品がかなりの部分を占めており、本来はもっと早く刊行されねばならないものであった。それでもここ二、三年のものにはいくらか新境地も開かれていると自分では思っているので、この遅れにも意味がないわけでもない。すでに新しい連作に取り組んでおり、いまはむしろふたたび詩を書くことに意欲的になっている。詩集のタイトルを『決意の人』とした理由のひと…
既に8月のことだが、ブック・デザイナー/映画批評家の鈴木一誌氏*1が亡くなっていた。享年73歳。 共同通信(『東京新聞』)の記事; 鈴木一誌さん死去 グラフィックデザイナー 2023年8月30日 07時29分 鈴木一誌さん(すずき・ひとし=グラフィックデザイナー)19日、誤えん性肺炎のため死去、73歳。東京都立川市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は妻文枝(ふみえ)さん。 杉浦康平氏*2に師事し、独立。「大辞泉」「鈴木清順全映画」など数々のブックデザインを手がけた。著書に「画面の誕生」など。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/273555 生涯に1万点以上の本…
テレビ番組で、ある雑誌の編集室を映していた。編集者たちのなかに、その雑誌のアートディレクターがいて、画面に彼の名が出た。「もしや・・・」と思い、じっと顔を見ると、確かにそうだ。その名と顔に記憶がある。老いているが、間違いない。会ったのは、お互いまだ20代のころで、彼はたぶん、私よりも数歳若いにしても、ぎりぎり60代というところだろう。彼が健在で、しかも現役だということがうれしかった。 彼と親しかったわけではない。会えばあいさつくらいはするが、お互いの名前を知っているという程度の関係だから、今どこかで出会っても気がつかないが、名前と顔のセットだから思い出せた。1980年前後あたりの出会いだ。その…