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掛川城

(地理)
かけがわじょう

静岡県掛川市にある城の名前。

概要

最初の築城は室町時代。駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、筆頭家老である朝比奈泰熙に命じて築城させた(掛川古城)。朝比奈氏は文明年間(1469〜1485年)に三代に渡って城主を務め、およそ現在の位置まで城郭を拡げた。
天正18年(1590年)、小田原攻めの後に豊臣秀吉により山内一豊が城主として任命され、掛川6万石の領主となった。一豊は、戦乱で傷んだ城の大改修に取り組み、天守閣、大手門を建造した。また、城下町の区画の構築・整備も行った。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦で武功を挙げた一豊が土佐20万石を与えられ四国へ栄転した後は、徳川幕府譜代の大名たちが城主に任ぜられた。延享3年(1746年)には旧江戸城を築いた太田道灌の子孫、太田家の居城となった。太田家は明治維新まで代々城主を務めた。
現在では、平成の代に復元された天守閣と大手門、江戸時代後期に建てられた掛川城御殿(国指定重要文化財)などを見ることができる。

天守閣

慶長元年(1596年)に完成。「東海の名城」と謳われたが、嘉永7年(1854年)の大地震で被害を受けために取り壊された。
現在の天守閣は、歴史資料を基に日本初の本格木造天守閣として復元されたもので、平成6年(1994年)4月に完成した。

TV

2006年のNHK大河ドラマ、司馬遼太郎原作で山内一豊とその妻千代が主役の『功名が辻』にも登場した。

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