東京・銀座のキリスト教系の書店。 キリスト教系の本の充実は当然だが、渋い一般書も充実、また、雑誌のバックナンバーが揃っていることでも知られる。 また、出版社でもある。
教文館は、1885年に創業されたキリスト教の出版社です。戦前より銀座にて書店・教会用品の店舗を営業しています。 一般書・雑誌(バックナンバーを含む)・キリスト教書・児童書・洋書・教会用品・ギフト等を取扱っております。
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昨晩から餌やり現場に仕掛けていた捕獲器を早朝に見に行ったところ、まったくネコどころか、生き物の気配さえなくなっておりました。 少し前に、お腹にアメリカンショートヘア柄の渦巻マークの雄ネコちゃんが新たに現れてしまった為に、発情期になる前に、なんとか捕まえたいと思い、何度か仕掛けをしておりましたが、一向に捕まる様子がありません。 夜は気温10度は下回っておりますので、人間もネコさん達も、捕獲は厳しくなって参りました。 その現場から、アメショー柄の子はいなくなってしまったようです。。。 ネコちゃん達という生き物は神出鬼没です。 しかし、この寒空の下でどこでどうやって生き延びているのか、凍えていやしな…
今日はG.Itoyaにて、中屋万年筆の調整予約をしていたのですが会社に万年筆を置いてきてしまい…しかし、予定通り銀座に行くことにしました。 母と子ども氏と約束してたので。 (調整はキャンセルしました) 銀座ランチの定番は、木村屋3階の洋食グリルでしたが たまには違う店にしようということで、三越にある三笠会館へ。 混んでたけど待ちスペースが広々しててよかったです。 わたしのセットのコンソメスープ子ども氏のオニオングラタンスープと相棒わたしは牡蠣のグラタンにしました。カキフライも美味しそうだったー! 子ども氏のメインは唐揚げ&ライスは牡蠣のグラタンにセットになっていたもの。 グラタンにライスはやり…
おつかれさまです。 週末は、銀座の教文館へ。 それにしても、すごい人… 教文館では、「ハウス・オブ・クリスマス」が開催中! 「ハウス・オブ・クリスマス」は、毎年開催されている期間限定のクリスマスショップ。 約3000点クリスマス関連アイテムが並びます! 開催期間は、2023年は10月27日(金)から12月25日(月)まで。 まだ早い気もするけど、クリスマス気分を味わいたくて、行ってきました! エントランスで、神聖な雰囲気のディスプレイに迎えられて、一瞬背筋がのびる。 おじゃまします。 会場は、3階、4階です。 まずは3階へ。 入っただけで歓喜! 目がハート! 海外のクリスマグッズで埋め尽くされ…
おつかれさまです。 あと一ヶ月で、クリスマス! 銀座の教文館で開催されている期間限定のクリスマスショップ 「ハウス・オブ・クリスマス 」へ。 会場は、3階と4階です。 教文館のエントランスは、すっかりクリスマスの装い。 まずは3階へ。 いらっしゃいませ〜。 クリスマスアイテムで埋め尽くされる店内! スタッフがドイツの見本市に直接足を運んで仕入れたオーナメントが、ずらり! 伝統のあるドイツのくるみ割り人形。 木製のオーナメント。 細かく編み込まれたレース製の飾りは、芸術的! どれも上質なものばかり! かわいい!!! 円安の影響でしょうか。 お値段は可愛くありませんが… 見るだけでも価値があります…
先日、ちょっと都内に用事があり、そのついでに銀座の教文館に行って参りました。 キリスト教関係の人ならもれなく知っているであろう、知る人ぞ知る、キリスト教関連参考書グッズの宝庫の書店です。 私もなにかとキリスト教とご縁があるようで、生まれる前から、母がプロテスタント系の教会の大変信仰心の厚い信者で、私達子ども達全員、知らずに洗礼を受けさせられておりました。 そして、強制的に毎週日曜日になると教会に連れていかれ、児童用の日曜学校にも参加させられ、苦痛で仕方ありませんでした。 自我が芽生え始める中学生くらいになると、現実世界とはかけ離れた厳し過ぎる教会の教えに、息苦しさを覚え、「こんな教えを守ってい…
いつもお立ち寄りいただきありがとうございます! 我が家に届いた小包 (申込から10日ほどで到着しました。) 青森県三戸町のふるさと納税返礼品 11ぴきのねこせんべい (2セット) ロングベストセラー絵本「11ぴきのねこ」がモチーフになったお菓子です。 三戸町は11ぴきのねこのまち というのも、作者の馬場のぼる先生は青森県三戸町ご出身とのこと 我が家の本棚にも「11ぴきのねこ」シリーズの絵本があります 11ぴきのねこせんべいの中身は 「11ぴきのねこ」にちなんで、11枚のせんべい(クッキー)が入っています。 せんべいには2種類のイラストが描かれています。 早速、お気に入りの極上はちみつ紅茶と共に…
おつかれさまです。 今日は、銀座の老舗書店「教文館」へ。 目的は、これ。 藤城清治版画展 ~生きるよろこび~ 藤城清治氏は、影絵の第一人者。 「生きる楽しさ、生きるよろこび」をテーマとした影絵は、国内外に多くのファンを持ちます。 わたしも大ファンで、毎年、教文館で開催される展示会が楽しみ! 2020年 www.koshikakeol.com 2021年 www.koshikakeol.com 今回は、影絵の展示はなく、規模を縮小して開催しています。 影絵の展示がなくて、少しさみしいけど、約60点の版画作品が壁一面に! これが無料で見れるなんてお得すぎます! オリジナルグッズ、カード、フィギュア…
昨日はキリスト教書店「教文館」へ行ってきました 銀座にあります キリスト教書店といっても一般書籍や絵本も置いています 妻が軽くて持ち運びしやすい聖書がほしいと言うので ハーフボリュームバイブルという軽量の聖書を買いに行きましたが あいにく店頭に在庫がなく帰宅してからネットで注文しました 店頭にあった見本で重さや文字のサイズを確認できたのでよかったです 昼食は無印良品銀座のMUJI Dinerでランチメニューを食べました 待ち時間は30分くらいです 19組待ちの割には早かったと思います
おつかれさまです。 過去に、銀座の美容室で、“小顔カット”と称して、ペラッペラのレイヤーを入れられたことがあります。 「この方が、小顔に見えますよ。」 わたし、そんなに顔、デカいですか? 銀座の美容室は苦手だけど、銀座のカフェは好き。 今日は、銀座の「CAFEきょうぶんかん」へ。 教文館の4階にあります。 今日は、那須トラピスト修道院のシスターたちが、祈りをこめて作ったフランスの伝統菓子『那須トラピスト修道院のガレット』をいただきます。 『那須トラピスト修道院のガレット』の原材料は、タマゴ、砂糖、小麦粉、バター。 添加物を一切用いず、ひとつひとつの素材を生かして作られています。 見た目はワッフ…
おつかれさまです。 働くよろこびを忘れてしまったOLが、 藤城清治先生の 『こびとといっしょ 生きるよろこび展2021』へ。 会場は、銀座にある教文館の9階。 エントランスの展示もかわいい。 エレベーターの扉が開くと… かわいいこびとがお出迎え。 初の影絵展から20年(通算21回目)を迎えるそうです。 展示会場内は撮影OK。 でも、これから見に行く人もいると思うので、ガッツリ写真は載せないでおきます。 チラッと。 ちょっとだけよ~。 様々な作品がありますが、わたしは、銀座を舞台にした影絵が印象的でした! ↓こちら、アンケート記入スペース。 こんな、かわいいアクリル板なら、感染対策も、息苦しくな…
よい香り 謙虚さは、よい香りとなって周りの人をよい気持ちにします。傲慢は、嫌な臭いとなって周りの人を不愉快にします。外見をどんなにきれいにしても、ひどい臭いがすれば台無し。心を清め、いつもよい香りを漂わせることができますように。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊) ※このカードはこちらからJPEGでダウンロードできます⇒ A3 道しるべ214「よい香り」2A3.JPG - Google ドライブ ハガキ 道しるべ214「よい香り」2ハガキ.JPG - Google ドライブ
小さな子どもにとって、目に映るすべてのものは新鮮で、驚きに満ちています。 大人にとって退屈な日常も、小さな子どもには感動の連続なのです。出会ったものに驚く心、すべてのものに感動する心を、小さな子どもに学びましょう。 片柳弘史「こころの深呼吸」教文館。 写真は高木淳司さんの提供で「教会の薔薇 祈り」。 アルバムリンクは https://www.facebook.com/share/p/V1FbpzHdtj5bjNL8/?mibextid=WC7FNe
愛の響き 「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。…
「神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり」(ヨハネ4:24) 元来、「霊」である「神」が「神」として信仰の対象となるのは、本来、非対象(…というか「対象ー非対象」、「人格ー非人格」の分別を超えたもの)である「神」が、言わば自己限定・自己対象化によって創造主ヱホバとして啓示なさり、選民が内に与えられている霊と真心をはたらかせることによって信仰および礼拝の対象となられ、救い主となられるのである。「ヱホバ」という呼び名を文語訳聖書より踏襲していますがあくまでも便宜的な意味にすぎず、まあ、付け加えるなら正統主義キリスト教に批判する立場としての一環です。自分は「エホバの証人」のシンパではあり…
自分を実際より高く評価している人は「わたしとしたことがあれもできなかったし、これもできなかった」と不満を言いながら一日を終え、自分の実力を知っている人は「こんなわたしが、あれでもできたし、これもできた」と感謝して一日を終えます。 片柳弘史「こころの深呼吸」教文館。 写真は高木淳司さんの提供で「野薔薇」 アルバム。リンクは https://www.facebook.com/share/p/ari9d2tEseSmcyhP/?mibextid=WC7FNe
幸せ集め 大きな幸せを見つけられないときは、小さな幸せを集めましょう。道端に咲く花の美しさ、頬をなでる風のさわやかさ、道で人とかわす挨拶のあたたかさ。そんな小さな幸せを集めてゆけば、幸せがいっぱい詰まった心で一日を終えられるでしょう。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊) ※このカードはこちらからJPEGでダウンロードできます⇒ A3 道しるべ213「幸せ集め」2A3.JPG - Google ドライブ ハガキ 道しるべ213「幸せ集め」2ハガキ.JPG - Google ドライブ
「罪の赦しを得させる悔い改め」 (そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、)道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ…
自分の欠点を素直に認められる人は、それを直して成長できます。相手の優れたところを素直に認められる人は、相手から学んで成長できます。成長するために大切なのは、こだわりのない素直な心です。 片柳弘史「こころの深呼吸」教文館。 写真は高木淳司さんの提供で「エナガ」アルバム https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02XJXUqwnrPMedksq6pW6gwUi7fVU5fzYWYX2YFtjZhsxVuhmu4j3C6RHdbE1XpEzHl&id=100003853247773
大切な人のために つらくて挫けそうなときでも、大切な誰かの顔を思い浮かべると、心の底から力が湧き上がってきます。「あの人を守りたい」「あの人の喜ぶ顔を見たい」その思いが、あらゆる困難を乗り越える力をわたしたちに与えてくれるのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊) ※このカードはこちらからJPEGでダウンロードできます⇒ A3 道しるべ212「大切な人のために」A3.JPG - Google ドライブ ハガキ 道しるべ212「大切な人のために」ハガキ.JPG - Google ドライブ
神のいつくしみ その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」十二人の一人でディディモと呼ばれ…
幸せになる力 幸せな人とは、見つける力、驚く力、感動を人と分かち合う力、与えられた恵みに感謝する力を持っている人のこと。特別なものは必要ありません。誰にでもあるそれらの力を磨くだけで、わたしたちは幸せになれるのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊) ※このカードはこちらからJPEGでダウンロードできます⇒ A3 道しるべ211「幸せになる力」2A3.JPG - Google ドライブ ハガキ 道しるべ211「幸せになる力」2ハガキ.JPG - Google ドライブ
なぞなぞ:あればあるで困るし、なきゃないで困るもの、な~んだ? 私の場合、自分(自我)を捨てるということ、自我の磔殺(たくさつ)ということは、下の引用文のように主イエスの命令だから、その命令に従わないと救われないから…といった律法主義的なことではなく(0-100思考・白黒思考、脅迫・強迫的ストレス)、自我を捨てないことには現実の自分(自己)の苦しみが続くからです。つまり最もラクになる方法が自我を殺すこと、自我を滅することなのです。主イエスへの熱情的信仰が動機ではなく、自分自身が精神的にラクになりたいということが主たる動機なのです。私はこの本心を誤魔化すことはできません。その本心を隠して敬虔を装…
天国は心の中に 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置い…
石を転がす力 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納め…
成し遂げられた イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19:28-30) イエスが十字架の上で最期に口にした言葉は、「成し遂げられた」だったとヨハネ福音書は伝えています。イエスは処刑され、弟子たちは散り散りになってしまったのですから、一見するとイエスの人生を通して成し遂げられたことは何もないように思わ…