詩の一形式。短いフレーズで、韻を踏む形式は「韻文詩」(verse)と呼ばれるが、一見通常の文章のように見えるのが「散文詩」(prose)である。 ここで注意したいのは、韻を踏んでいても詩とは呼べない文章もあるし、散文で書かれたテクストが詩そのもの、という場合もあることである。「詩」に心があるのなら、それを持ったテクストは詩と呼べるだろう。 有名な散文詩の作品では、フランスのボードレールの「パリの憂鬱」がある。けだし、梶井基次郎の一連の小説は散文詩と呼んで差し支えない。
近しい人が創作活動を再開したという知らせを聞いた。そのことを本当に喜ばしく思うと共に、自分自身の創作はこれでいいのかとも思う。 また先日、とある詩人の投稿履歴のようなエッセイを読んだことで、もう一度あの投稿の日々に戻りたいという気持ちに駆られてしまった。 そうした外的な要因にあまり左右されずに、自分自身の創作物と向き合いたいと思ってきた。投稿生活から離れてしばらく経ち、この間に海をモティーフとした詩ばかりだった傾向から、だんだんとそこから離れて、さまざまなモティーフを用いるようになった。 そのことを単に寿ぐことはできない。血肉と化した言葉でなければ詩にはなり得ないという感覚は、吉増剛造『詩とは…
詩を書くことについて ポケモンについて思うこと━動物とポケモン、人工物と自然についての私観━ 詩を書くことについて 0時になったらひとまず原稿に着手しようと決めていた。ヘンデルをイヤフォンから流しながらPCへと向かう。 ここのところ一日がかりの通院などもあり、またパートナーが多忙で、なかなか深夜の時間帯にまとまった時間を取れずにいた。 家族というコミュニティの中で、役割を担いながら文章を書いているので、どうしても制約は付きまとう。愛猫の調子も日によって変わるし、状況は常に可変的で、それに合わせる形で文章を書くことになる。 ここ数日の作業を振り返ってみると、先日までのように、日中に思うようにメモ…
近況報告など 今後のこと 頒布予定のエッセイ集について 梅見をテーマとした詞花集について 近況報告など NHK学園のさくら短歌大会に投稿しました。 もともと公募に出すために短歌を詠んでいたというよりは、日々のことを思いのままに詠んでいた短歌が溜まってきていて、その中から題詠と自由詠をそれぞれ選んで投稿しました。 短歌は自分自身の短歌の拙さにめげて、やめてしまおうかとも思っていたのですが、それでも最近ふたたび詠むのが楽しくなってきたこともあり、また先日短歌読書会で薮内亮輔『海蛇と珊瑚』を読んだこともあってモチベーションが高かったのでした。 歌集 海蛇と珊瑚 作者:藪内 亮輔 KADOKAWA A…
『愛だとか幸せだとか』 愛だとか幸せだとか そんなことばかり語られる それは 愛が足りていないから? 幸せだと感じないから? それとも 愛に満ちているから? 幸せが溢(あふ)れているから? 足りない愛を求めて彷徨う 幸せを探して誰かが儚く 満ち足りた愛を抱いて歩む 幸せを溢(こぼ)しながら僕が 小さな愛に空気をいれて 小さな幸せにも空気を入れて 風船みたいにふくらませ 浮かべてみるとちょっと楽しい 愛だとか幸せだとか そんなことばかり語られる それは たくさんあっても困らないから それは たくさんあると楽しくなるから
www.youtube.com 午前0時も半ばを過ぎて ヨット・ハーバーの周りには 黒い潮風と引き揚げられた古ボートが眠っている 白くぼやりと浮かぶのは 疲れ切って萎えた帆 その白さに小指ほどの言葉を当てはめながら歩く ただ来てしまったから歩く なにひとつ意向を持たず歩く 陰が歩行者を支え 時折突き崩し 数え切れない羞恥にきつく胸を捩らせる あれはいったいだれだろうか 酒に酔ってふらついている男は 灯台の裏手にふかく沈んでいく 帰れないのだ 夜風が足につつかかる たったいま午前一時を過ぎ 港のまえには黒い車が停まっている 朝を待って眠る また酒を呑んでしまったのだ 海のもっとも黒い部位 あそこ…
Tweets by poesy_rain twitter.com ここのところブックライティングの仕事をしていたこともあり、Twitterでの活動をもう少し活発化させようかと思っていました。 しかし、震災もあり、まだまだ世の中が危うい状態で、自分自身の心身も落ち着かないので、Twitterアカウントは温存させつつ、告知メインでの運用にするつもりです。 今はアプリも入れておらず、Webブラウザからの閲覧・投稿をしていましたが、仕事がひと段落したのと、喪中の疲労もあり、まだ自分のモードをすばやく創作モードに切り替えられないので、ログアウトしました。 同人を主体にやっていきたいとは今のところ考えてい…
『静けさの中で』 時計の針は峠を超えて 1日を終わらせ 1日を始める 月は静かで あなたも静かで どこか頼りないこの世界 ふたりで一緒に隠した不安は そのまま沈めて忘れてしまおう 現実を生きる そんな強さはないけれど 今日から明日へ 乗り越えた分だけ 涙を流せばいいんだよ 雪が降りる音さえ聞こえる 静かで悲しい夜だから そっとあなたを抱きとめる 大丈夫 わたしの声に耳を澄ませて 雪の音なんていいから 愛されようとしなくていいから ただわたしの隣にいて 終わって始まる世界のどこかで だれかが喜び だれかが嘆く 静かに流れる時間の隣で 静かに散った 景色が散った ふたりで隠した不安と一緒に 夢も隠…
noteにて新作の散文詩を公開しました 主宰文芸サークルでの南木佳士『阿弥陀堂だより』読書会 次回の読書会の予定が2本決まりました noteにて新作の散文詩を公開しました noteにて新作の散文詩「罪業の門を叩いてのちに」を公開しました。 note.com 時雨を含めてかれこれTKの音楽は14年ほど聴いているのですが、今回の詩はTK from 凛として時雨の「first death」のライヴ版に衝撃を受けて、その衝動のままに書いた一編です。 音楽サブスクを抜けてしまったので、「first death」はiTunesで購入しました。 first death TK from 凛として時雨 ロック …
君の望んだ探し物一周回って腕の中君は自分を顧みず自由という名の殻の中 まあるい世界の空の上虚ろな波紋は透き通り星屑の中をかき分けて何処へなくとも散っていく 隔たりがあれば幸いで壁の向こうに耳はなくしゃっしょこばった顔の儘蔓草に巻かれ措いていく ねえ 本当に それはねえ 宝石の様に光るそれは 虚ろな君と陰鬱な僕と星影の作る大小は伸びて縮んで笑いあい飽くまで踊った白い丘 夜明けを告げる鐘の音と共に青鈍色のアゲハが飛んだ沢山沢山沢山飛んだ 音もなくてふの羽が空を覆っている夜の空を朝の空に変えていく 君のぽかんとした顔の瞳を覗く真っ暗で透き通り僕は怖くなる
Blue あなたとわたしの本 253 けっきょくさ、 あなたの人生で何が起ころうともさ、 ポジティブにとらえて 喜んでいればいいということです。 いいことが起これば そりゃ喜べるだろうけど、 不愉快なことや嫌なことが起こってるのに ポジティブにとらえて喜ぶなんて 普通はできないでしょ、って あなたは言うかもしれない。 そうだね。 でもさ、 あなたとわたしだからさ、 もう「普通」は やめてもいいんじゃないかなぁ。 もう「普通」はやめようよ。 不愉快なことが起こって 不愉快だと感じて 不愉快な反応しても もっと不愉快なことが 押し寄せてくんだよなぁ。 当てつけみたいに。 だから 喜びのほうへ 意識…
はじめに やめておきたいこと それでもまだやりたいこと はじめに 現時点で原因や病名がよくわからない病気になってしまい、今後の創作面での見通しについて再考せざるを得なくなった。 現在は内科で抗生物質とビタミン剤、カロナールを処方されていて、診断名はない。ひとまず様子を見るほかないので何とも云えない。コロナは陰性という結果だった。 病気が良くなる見込みはあるのか、反復的に起こるものなのか、それともだんだんと悪化していくものなのか、それすらも現時点ではわからないので、見通しを立てるに立てられないというのが現状だ。 詳しい症状については伏せるけれど、もう少し時間が経ったら書ける範囲で書いていくかもし…
毎年桜の季節になると「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という衝撃的な書き出しで始まる散文詩を思い出す。1932年3月24日桜の咲く季節に31歳の若さで夭折した小説家 梶井 基次郎(かじい もとじろう)が残した作品だ。「不思議な生き生きとした美しい満開の桜の情景を前に、「俺」は逆に不安と憂鬱に駆られた。桜の花が美しいのは樹の下に屍体が埋まっていて、その腐乱した液を桜の根が吸っているからだと想像する。花の美しい生の真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた神秘から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語る」という散文詩。友人の小説家伊藤整は、梶井が…
こんにちは。前回更新してから一週間。 なるべく定期的に更新できるよう頑張ります! 私の好きな川島如恵留さんはとても忙しいのに毎日ブログを更新してくれています。おかげでメディア露出が少ない時期でも近況を知ることができて、好き!となります。 時間の使い方が上手い人ってすごいよね…。 今日紹介する本はこちら↓ タフィー サラ・クロッサン 作 三辺 律子 訳 出版者:岩波書店 国:イギリス 刊行:2021/10/28 ページ数:412p 定価:2100円+税 原題:TOFFEE カバー画:星野ちいこ あらすじ 父親の暴力から逃げ出した16歳のアリソンは行き場を失い、さまよううちに一軒の家の納屋にたどり…
この詩集を読んだ後に井坂洋子さんのことを調べてみたら、伊藤比呂美さんとともに女性詩をリードしてきた人だということがわかった。ハルキ文庫が比較的多く詩を扱うとは言え、詩集を文庫で出せる詩人はすでに知られた存在であることは予測できた。読んでみて、ちょっと一息。なんかすごいものを読んでしまった気がしている。一方で新しい物体に出会ったようなワクワク感。 詩としてはこれまで読んだことがないスタイルと思える一方、数十年前だったか倉橋由美子さんの文章を読んだときに生じた感覚に近いような……(だからって似てるって意味ではない)。文章は日常的な言葉が並ぶのだけれども、わかりやすい言葉に素直についていくと、いつの…
昭和世代の私は「シャクナゲ」と聞くと、シャクナゲそのものより「しゃくなげ色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空」という歌の一節を思い出してしまう。「夏の思い出」に登場するシャクナゲ(石楠花)は高山種の花木。だが、それが最近は公園でもよく見かけるようになった。「しゃくなげ色」とは淡い紫みのピンク色を指すのだろうが、井上靖には大いに気になる花だったようである。彼の短編に「比良のシャクナゲ」があるが、彼の処女詩集は『比良のシャクナゲ』。散文詩として書かれたのは1946年で、それが小説として発表されたのは1950年の『文学界』。その詩は花、星など自然美が象徴する永遠に対して、人間性の卑小さを表現してい…
ヨーグルトを購入するということはそれをあと1週間以内に全て食べる計画を描く行為に等しい。逆に言うと、無計画にヨーグルトを購入するべきではない。いきものを買うときは買ったあとの計画を立てるのが普通だが、モノに対しても計画性を持っていられるかどうかが生活力の差のつき所である。 しかし計画など立てなくてもいいすばらしい買い物がある。CDである。ほかの趣味と比べて場所もさほどとらないし、本やゲームと違って開封してもしなくてもいい(youtubeとかで聞けるから…)、楽器やスポーツの道具と異なり使わなくても罪悪感がないところが優れている。なによりCDというのはハード面の構造の単純さゆえに誰でも作れるのが…
堀江敏幸『正弦曲線』(中央公論新社 2010年) 堀江敏幸『その姿の消し方―Pour saluer André Louchet: à la recherche d’un poète inconnu』(新潮社 2017年) 清水茂や伊藤海彦、矢内原伊作と、最近フランス系エッセイを読んできたので、その流れで読んでみました。堀江敏幸の作品は、98年頃に、『郊外へ』、『おぱらばん』と続けて読んで、小説とエッセイの中間を行くような不思議な境地に引きずり込まれ、フランスものの書き手でそれまでにない新しい感性を持った世代が登場したと衝撃を受けたことを思い出します。 はっきり覚えていませんが、洒落た文章からは…
あなたの魂はとてもとても賢いのです。 その信じる力、愛、叡智はあなたの想像をはるかに超えています。 キズつきやすい閉じた淡い純粋性とはちがいます。 コンプレックス解消やポジティブシンキングともちがいます。 否定のない本能的な存在肯定の意識です。 浮ついた理想論とはちがう極めてリアルな実際的な可能性の感覚です。 魂感覚は可能性感覚。高性能で精密な可能性&真実センサーなのです。可能性と対話してあなたの現実の人生の設計図を刷新することが出来ます。思いの連続体であるこころの物語を超えていけるのです。 魂は神や自然とおなじで言葉を話しません。 魂という言葉によって魂が働くのでもありません。 ただ共に在る…
Émile Verhaeren『Le Travailleur étrange』(Ombres 2013年) この本は、8年前ぐらいにジベール・ジョゼフでたまたま目にした「PETITE BIBLIOTHÈQUE OMBRES(影叢書)」の一冊で、この叢書には、以前読んだPaul Févalの『Le Chevalier Ténèbre(暗黒騎士)』も入っていて、ラインアップが私の好みに合っていたので、買ったものです。13の短篇に、Frans Masereelという人の木版の挿画が54も収められています。 ヴェルハーレンについては、むかし高村光太郎訳の『天上の炎』というのが文庫本で出ていたのを覚えて…
血圧値 127/88/68 酸素飽和度 98% 体温 36.0℃ 体重 69.7キロ 僕は「にこたろう読書室」というものの室長ですからして、たまには本当に本を読んだり、読んだ本の話をここに書かなければいけないのです。 が、このブログを書き続けている2年間を顧みても、やれ今日はクスクスを食べたとか、どら焼きの皮の是非とか、ワインは1杯目は数えないでおくとか、酒と薔薇の日々(今、鮭とバラ、と先読み誤変換した)を終活の第一目標とすることに、一点の躊躇もあってはならない、とか。 なんかちょっと当初の目的とは違う方向にコンテンツが流れているような気がします。 それはブログの右側のカテゴリー欄の、テーマ別…
高柳誠。はじめに思潮社の〈詩・生成〉のシリーズで読んだ『高柳誠詩集』の、アナイス・ニン「技芸の冬(『人口の冬』)」の引用が強く記憶に焼きついている。愛すべきたたずまいのこの小さな本は、市庁舎、運河、天文台、競技場など名もないある都市の細部について、すべて見開き2ページで点描していく散文詩集。三つほど、書き出しだけ紹介したい。 動物園に集められている動物は、稀には絶滅寸前の種もいるが、ほとんどがすでに絶滅した種である。従ってその悉くが剝製や標本である。「動物園」書物は図書館の中にしか存在しない。と言うより、書物それ自体の原理からいって、図書館外では存在のしようもないのだ。書物を読むには、よほど慎…
2023年11月、光文社から刊行された李箱の作品集。翻訳は斎藤真理子。光文社古典新訳文庫K-Aイ2-1。 目次 訳者まえがき [詩]鳥瞰図 詩第一号 [小説]翼 [日本語詩]線に関する覚書1 [詩]鳥瞰図 第十五号 [小説]蜘蛛、豚に会う [紀行文]山村余情――成川紀行中の何節か [小説]逢別記 [童話]牛とトッケビ [随筆]東京 [小説]失花 [書簡]陰暦一九三六年大晦日の金起林への手紙 [散文詩]失楽園 [詩]鳥瞰図 詩第四号 解説 斎藤真理子年譜訳者あとがき NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索
伊藤海彦『季節の濃淡』(国文社 1982年) 伊藤海彦『渚の消息』(湯川書房 1988年) 久しぶりに伊藤海彦を読んでみました。このブログを始める前、2006年頃に、『きれぎれの空』と編著『詩人の肖像』を読んでいますが、自然の風物を織り込んだ詩人らしい抒情的な文章に魅せられたことを覚えています。今回、その期待はまったく裏切られませんでした。 『季節の濃淡』がエッセイ、『渚の消息』は散文詩のかたちを取っていますが、ともに同じテーマにもとづく作品。というか、『渚の消息』には、『季節の濃淡』のいくつかの章を散文詩に置き換えただけと思われるものもありました。『渚の消息』は散文詩だけに短く、内容もおおま…
プチ多忙でしたが、アップするのもどうでもいいようなものでした、億劫で放置。 本日で鈴村稔さんのウクライナ支援展(ウクライナ大使館後援)も終わります。盛況であったか?後で様子を確認してみましょう。まずFacebook6日にアップしたものだけ記しましょう。 先日は、鈴村稔さんのウクライナ支援の個展を挨拶がてら鑑賞。 共同開催となったウクライナ人女性の作品もあり、カメラマン、陶芸、俳句が趣味の東大教授建築家となんとも多才多芸な人だった。 ただ、俳句朗読を誰かがやったのだが、やはり外人俳句で日本の俳句とは異種のものだ。 どこかの句会に出入りしているようで、連れの老婆が沢山きていたが、聴いていると、俳句…
夢と現実なんて、変な題を付けちまった。 実は、昨日、よんばばさんに紹介された村山早紀「さやかに星はきらめき」を読了し、一方で、昨早朝NHKスペシャル「戦場のジーニャ」を見たから、一応こんな題をつけてブログを書き始めた。きっと、まとまりのない話になろう。 「さやかに星はきらめき」の詳しい紹介は、よんばばさんのブログをご覧ください。 よんばば (id:yonnbaba) 10日前 温かさとひりひりする寂寥と『さやかに星はきらめき』村山早紀著 - あとは野となれ山となれ 地球が、天災と疫病と戦争で住めなくなり、地球人類が月を中心に、犬・猫から進化した犬人・猫人と宇宙に住んでいるという設定の話である。…