N:改めて後水尾天皇の「文化サロン」を教えてください。 私:江戸幕府が日本を支配し、平和な時代が到来して、寛永文化が花開く。京都では対徳川を意識して後水尾天皇がその文化の中心になり、朝廷に「文化サロン」ができる。身分にとらわれなかったために、いろいろな文化グループが活発に交流していた。鷹峰人脈も参加していた。前田家ゆかりの茶人(遠州、宗旦、宗和)や絵師(探幽)、光悦や宗達はもちろんだ。利政(利家次男)も参加した。利政の娘の嫁ぎ先の角倉などの豪商や公家も参加していた。 N:サロンのスポンサーは誰でしょうか? 私:利常だな。なによりも利常の宮家への行き届いた財政支援が見逃せない。利常の資金援助が「…