1950年4月4日生まれ、埼玉県鴻巣市出身、明治学院大学卒業、AB型。 1970年に「悩み多きものよ」でデビュー。現在も、ライブ活動を行っている。 代表作:悩み多きものよ、されど私の人生、バイバイ・グッドバイ・サラバイ、グッドタイム・ミュージック、僕の古い友達、いまのキミはピカピカに光って(宮崎美子出演のミノルタカメラのCMソング)
前説 ハウス・オブ・クレイジー 30周年記念ライブ 永井”ホトケ”隆(Vo. eg) VS 有山じゅんじ(Vo. g) 斉藤哲夫といとうたかおライブ 前説 MLBのワールド・シリーズは、ロサンゼルス・ドジャースの優勝を以て終了しました。 3回戦の18回延長に続く、7回戦も11回まで延長となり、メジャー・リーグならではの一流選手の技術の凄さを目にし、凄く緊迫感のある試合展開を見せてもらいました。 小生も7回戦の3回裏、大谷投手が3ラン・ホームランを打たれ両ひざに手をつく姿を見て、愕然としました。 しかし、マンガの様な終わり方を信じて、試合のその後を見守りました。 正にそのとおり展開が訪れました。…
この週末の自公連立破綻で、本格的な大政局がやってきた。平和の党なのに安保関連三文書改訂・集団的自衛権・敵基地攻撃能力・防衛費GDP比2%等々を呑まされ、踏んでも踏んでも付いてくる「下駄の雪」と揶揄された公明党の忍耐の緒が切れた日だった。 「政治とカネ」で自民党同様胡散臭いと思われたことが、去年・今年の選挙で敗北した原因だと、公明党は思っている。そこに創価学会婦人部からの(政界浄化を求める)突き上げがあって、マグマは十分溜まっていた。そこに自民党人事で荻生田幹事長代理となったので、マグマが噴出した形だ。 公明党本部も、創価学会本部もJR信濃町駅近くにあるが、東京での創価学会の重心(グラビティ)は…
前説 チック・コリア・トリオ 『トリロジー3』 グレイト・ジャズ・トリオ 『グレイト・スタンダードVOL.1』 レッド・ツェッペリン 『ライブEP』 9月に聴いたCD STEELY DAN 『THE VERY BEST OF STEELY DAN』 CHET BAKER 『LIVE IN JAPAN 1986 SENDAI VOL.1&VOL.2』 斉藤哲夫 『昨日・今日・明日』 前説 9月の後半は、真空管式プリアンプの購入代金の一分を稼ごうと小銭のバイト稼ぎみたいなことをしていたので、少々多忙でした。 一方で、音楽を聴く時間を割いて、ドジャースの地区優勝の行方と大谷選手のホームラン王争いを見…
北海道での食事のことを書こうと思いましたが、昨日ふとしたことで或る曲のことを思い出したので、こちらを先に書きます。 昨日たまたまiPhoneで音楽を聴いていて、シャッフルにしていたらこの曲がかかりました。 www.youtube.com 昔、高校受験で深夜に参考書を読んでいた時に、ながらラジオでこの曲が掛かっていて一発で好きになりました。 レコードは買わなかったけど、いつもの貸しレコード屋で借りてカセットにダビングしました。 受験勉強が辛くて、あまり良い結果が出なくて、そんな時によく聴いていました。 いつしかそのカセットは行方不明に、記憶は頭の奥に埋もれてしまいました。 2006年の年末、恒例…
宮崎美子が出演して話題騒然となったミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のCMソング この曲はCMソング界において世間に最も影響を与えた曲として語り継がれている。 自分は小学校の高学年くらいの年齢だったが、この曲が使われたCMによって世の中がざわついている雰囲気を感じたものである。 出演していた当時女子大生の宮崎美子をめぐり、この先芸能活動を続けるのか、とか素人を執拗に追いかけるのはどうなのか、といった論争が巻き起こっていた記憶がある。 一方、この曲を歌う斉藤哲夫のことや、曲のフルコーラスを知る人は少なかっただろう。 いまのキミは ピカピカに光って あきれかえるほど ステキ ぼくの情熱うけとめて く…
斉藤哲夫『グッドタイムミュージック』(1974年、ソニー) *** たしか15年ちかくまえに仙台の中古レコード店で購入した。パラダイスレコードはすでに移転していたとおもう。 ビートリーなコーラスと、カントリーウェスタンふうな調子と、ムード歌謡をないまぜにしたようなフォーク・ミュージック。ウィキペディア教授によるとコーラスはシュガーベイブ、アレンジは山下達郎である。斉藤氏のボーカルはヨーデルを多用したふわふわしたスタイルで、声質はゆずの岩沢厚治氏に似ている。 はじめからおわりまでひとつの流れがあり、リプライズしながらより道しながら言及しながら参照しながら再訪しながらラストの「南部春待ち疲れバンド…
ぼてぢゅう「大阪ミックスオムそば」 斉藤哲夫さん「いまのキミはピカピカに光って」をBGMにいただく…
一昨日、2回目のワクチン接種を受けたあと、疼痛と発熱にみまわれました。カロナール錠を服用し、YouTubeで音楽を聴きながら微睡むうちに、どういった巡り合わせなのか、ヘッドホンから流れてきたのは斉藤哲夫の”悩み多き者よ"。 www.youtube.com そして、ほぼ半世紀ぶりに聴くメロディに触発されたのか、10代の終わりごろ頻りに口ずさんだ詩句が、だしぬけに脳裡を満たしたのでした。荒地派の詩人・鮎川信夫の”死んだ男”です。 たとえば霧やあらゆる階段の跫音のなかから、遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。──これがすべての始まりである。 遠い昨日・・・ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、ゆがんだ顔をも…
みなさん、シンガー・ソングライターの斉藤哲夫をご存知ですか? 斉藤哲夫(1950年4月4日生まれ)。1972年、インディーズのURCレコードから「悩み多き者よ」でデビュー。ファーストアルバム『君は英雄なんかじゃない』を発表。その収録曲「されど私の人生」は、吉田拓郎がカヴァーしたことで有名曲になりました。 拓郎が他のシンガー・ソングライターの曲をカヴァーするのはとても珍しいこと。それほどお気に入りの曲だったのでしょう。 「もうどうでもいいのさ つまらぬことは考えないで そこからの道を急ぐのさ それが最も肝心さ」と始まるこの曲は、「変わる 変わる 目の前が 変わってそれでおしまいさ されど私の人生…