戦国大名。織田信長の岳父。長井新九郎規秀。 油売りから一代で戦国大名に成り上がった「下克上の代表」だと思われていた。
近年の研究では父、長井新左衛門尉が妙覚寺の僧から還俗して武将となり、美濃守護土岐氏の奉行にまで出世しており、道三はそこから美濃を手中にしたということになっている。
1556年、家督を譲った長男義龍と対立し、長良川の合戦で戦死。
尾張統一までの信長の若き日 天下統一の手前まで行った織田信長の生涯と言えば、桶狭間の合戦から語られることが多いが、今回はその手前の尾張統一までの信長の人生に注目する。番組では江戸時代初期に信長の側近だった太田牛一が記した一級資料「信長公記」に基づいて信長の若き日を紹介している。 織田信長、幼名吉法師は、1534年に尾張の虎と恐れられた織田信秀と正室の土田御前の間に嫡男として生まれる。織田氏は尾張守護の斯波氏の元で守護代を務めてきた一族である。しかし信長の誕生時は斯波氏の力は弱まっており、実質的には上四郡は守護代の岩倉織田家が、下四郡は守護代清洲織田家が治めている状態だった。信長が生まれたのは清…
【きょうの人】 0528 斎藤 道三 没 戦国武将・美濃のマムシ 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。 ■ 斎藤 道三 没 美濃のマムシ さいとう どうさん 明応3年(1494年)-弘治2年4月20日(1556年5月28日) 改名 長井規秀→斎藤利政→道三 NHKの大河ドラマで、信長の義父として登場、一旦後継者として認めた息子との戦で討ち死にするというシーンは、目に焼き付きましたね。 斎藤 利政(さいとう としまさ)は、戦国時代の武将、美濃の戦国大名で、坂口安吾「信長」や山岡荘八「織田信長」といった小説の影響…
こんにちは,四十雀です。 今回は三分(さんぶ)の話について,少しつぶやかせていただけたらと思います。 さて,実は思い切り私事の話なのですが・・・。 今回,なぜか髪の毛を三分刈りにしてしまいました・・・。 いや,実は,先日久しぶりに床屋さんに行ったのですが,自分がいつも五分刈りにしていたか三分刈りにしていたかすっかり忘れていて,床屋さんでつい「三分刈り」と言ってしまったんですよね・・・笑い そしたらばバリカンで激しく刈られてこの頭に笑 でも,結構この頭,個人的には気に入っています。 私,今無精ひげを生やしているので・・・。 イメージ的にはこんな感じになってしまっています(笑) あ,こちらは「美濃…
「東映時代劇YouTube」チャンネルで配信されていた、時代劇スペシャル『戦国乱世の暴れん坊 齋藤道三 怒涛の天下取り』(監督:工藤栄一)を見る。1991年にテレビ朝日系列で「新春大型5時間時代劇スペシャル」とした放送された。主演は松平健。浪人の子に生まれた庄五郎が、父の意志を受け継ぎ、下剋上の戦国乱世に一国一城の主になる野心や理想を胸に、戦国大名『齋藤道三』として成り上がっていく姿を描く。庄五郎(松平健)は、荒れ果てた京で油問屋の奈良屋の一人娘・田鶴(斉藤慶子)を助けたことから請われて奈良屋の婿となる。豪商の主となり巨万の富を得たが戦国大名となる夢を捨てきれなかった。やがて美濃国に目をつけて…
清洲城濃姫の像(地図赤①) 1535年父斎藤道三・母正室小見の方の唯一の子どもとして美濃国(今の岐阜県)に生まれる ※ 諸説あり正確な年代は不明 小見の方は明智光秀の父光綱の妹という説があり明智光秀とはいとこ同士に当たる と言われている 正式な名前は分かっていないが美濃国から嫁いだ姫ということで濃姫、または斉藤道三が隠居していた鷺山城から鷺山殿などと呼ばれている(地図赤②) 他には帰蝶と呼ばれていた 1546年 11歳 越前大名朝倉孝景と斎藤道三の和睦の条件として美濃守護である土岐頼純(ときよりずみ)と結婚させられる このとき織田信長との結婚の話も出ていたが保留となる 1547年 12歳 土岐…
岐阜県岐阜城 by:photo-ac お城大好き雑記も40回目になりました! 今回は、岐阜県岐阜城です。 岐阜城は長良川に臨み、濃尾平野を一望する標高329mの急峻な金華山山頂から麓にかけて築かれた壮大な山城。 別称は金華山(きんかざん)城、稲葉山(いなばやま)城、井ノ口城です。 2006年に「日本100名城」(第39番)に選定されています。 金華山岐阜城とロープウエイ by:photo-ac 岐阜城は元々斎藤道三(どうさん)の居城であった稲葉山城ですが、織田信長の天下布武への第一歩を記した記念すべき城となりました。 金ぴかの織田信長像 by:photo-ac 信長は天下統一を目指し、天正4年…
今回もしばらくNHK大学ドラマ『麒麟がくる』はお休みです。 放送再開までしばらくは、NHK大河ドラマの過去の名作の特別編を放送しています。 本日は司馬遼太郎の普及の名作『国盗り物語』でしたね! この国盗り物語、前半は斎藤道三の成り上がり、後半は織田信長の天下取りの二部構成! しかし…多くの方が仰るように、物語は前半・斎藤道三編が面白い!! まさに一介の素浪人であった斎藤道三が美濃一国を国取りしていく話こそがハイライト! ここで、斎藤道三の半生を振り帰ってみましょう! 彼はその半生で幾度となく名を変えています。 産まれは山城国(現在の京都府) 父は松波左近という浪人と言われています。 ① 法蓮房…
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の美濃編で一際異彩を放っていた人物といえばもちろん斎藤道三。本木雅弘さんが『蝮の道三』を見事に演じてくれましたが2020年5月10日に放送された第17話で息子・斎藤高政の家臣によって討ち取られてしまいました。 道三さまを背後から槍で突き刺した家臣を私は絶対に許しません(笑) 本木雅弘さん演じる斎藤道三はとにかく魅力の塊で従来私が持っていた斎藤道三のイメージを良い意味で覆してくれました。 つまり、私は本木道三ファンなのです。その本木道三さまが残してきた数々のセリフを今回振り返ってみようというわけです。というわけでお品書きはこちら。 1.斎藤道三名言集 第1…
本日放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』 美濃国を二分する斎藤道三と斎藤高政親子(?)の争いが描かれていましたね。 守護の土岐家を追放し、実力で美濃国を乗っ取った斎藤道三。 その道三の嫡男ながら、本当の父親は土岐頼芸とも噂される斎藤高政。 実際、斎藤道三の元に集まったのはわずか3000とも。 多くの『国衆(くにしゅう)』が味方しなかったとも言われています。 この頃は後の織田信長の時代よりも野性的な時代。 美濃の国内の地方領主である『国衆』がどれだけ味方に付くか…が国を治める要でした。 国衆がそっぽを向けば国はまとまらない。 国衆の独立心も強く、主君が判断を間違えば反乱、裏切りは日常茶飯事。 土…
本日放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』 ついに対面した織田信長と斎藤道三。 道中では普段のうつけ姿を見せておき…会見の場にはきちんと正装して現れる。 しかも待たせて相手を焦らせる作戦。 上座のはずの舅・斎藤道三をまるであしらうかのような器量を見せつける信長。 道三がその器量を見抜き『我が子孫は織田信長面前に馬を繋ぐだろう』と言ったと伝わるのも頷けます。 古くからの家柄である家老衆を引き連れた斎藤道三。 佐々成政と前田利家という武辺者たった二人だけを引き連れて対面した織田信長。 家柄ではなく実力主義の織田家の新家風。 古き価値観と新しき価値観のせめぎ合い。 『信長殿は見事なたわけじゃ』 これは…
【きょうの人】 0813 ■ 大覚禅師(蘭溪道隆) 南宋から渡来した禅僧 大覚派の祖 ■ 斎藤 龍興 美濃国の戦国大名 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。 ■ 大覚禅師(蘭溪道隆) 南宋から渡来した禅僧 大覚派の祖 だいざく/らんけい どうりゅう 嘉定6年(1213年)- 弘安元年7月24日(1278年8月13日) 鎌倉時代中期の南宋・?州?陵県蘭渓邑(現在の重慶市?陵区藺市鎮)から渡来した禅僧で、諡は大覚禅師、俗姓は冉、名は?章、法諱は道隆、号は蘭渓です。 大覚派の祖で、無明…
後北条氏の遺臣・三浦浄心は『北条五代記』で、かつて戦国時代関東の若い輩の間で、柄を長く拵えた刀が流行したことを記しています。それは書かれた時代でいうところの鍵槍のように流行したものですが、この時代の人々の感覚では珍奇に見えたであろう刀のようです。 ■『北条五代記』寛永本 「三五 関東長柄刀の事 付かぎ鑓の事」(※1)・見しは昔、関東北条氏直時代まで、長柄刀とて、人毎に、刀の柄を長くこしらへ、うでぬき(刀を握った時手から離れないようするための紐)をうて、つかにて人をきるべく体たらくをなせり。当世は、かぎ鑓とて、くろがねを長くのべ、かぎをして、鑓の柄に十文字に入、其先に小じるしを付、柄にて人をつく…
信長の野望新生が2022/7/21に発売されました。 面白い、つまらない、など、評価が分かれる信長の野望シリーズ。この記事では信長の野望 新生を実際にプレイしてみた感想をご紹介します。 信長の野望 新生はつまらない?面白い?レビューと評価-実際にプレイした感想 シナリオ 知行システム 信長の野望の雰囲気 信長の野望 新生のつまらない点 他作未プレイや初心者でも楽しめるか 終わりに 信長の野望 新生はつまらない?面白い?レビューと評価-実際にプレイした感想 信長の野望 新生は、戦国時代の覇権を争い繰り広げられる頭脳戦を体験することができる戦略ゲームです。 多くのファンを獲得しているゲームで、最近…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ サムライや浪人とは、賤民・部落民・芸能の民以上に嫌われた不浄な日本人である。 ・ ・ ・ 2019年10月3日号 週刊文春「出口治明のゼロから学ぶ『日本史』講義 〔近世篇〕 『武士道』の幻想 これから3回にわけて、私たちがイメージしている江戸時代と、現代の研究者が考えている江戸時代との違いを紹介していきましょう。 以前、江戸時代には『士農工商』という身分制度はなかったという話しをしました。 特権階級である武士は日本の人口の1割程度、あとは庶民で、地方に住む人を百姓、都市に住む人を町…
生きるか死ぬかは運次第の戦国乱世。きつい・汚い・危険の3Kの最たる職業の武士達。 血塗られている日常で得られるわずかな平穏の中に、己を取り戻そうとする時、彼等はそこに心の平安を求めるのでした。それが禅であり、茶の湯であり、能や連歌や諸芸の世界でした。 よく、「明日地球が滅亡すると分かった時、あなたはそれまでの時間に何をしますか?」と言う問いが出される事があります。その様な前提で作られた映画やドラマが数多くあります。それぞれの状況で答えは千差万別ですが、戦国武将達にとって、その問いは常に喉元に突き付けられている刃の切っ先でした。 藤堂高虎が「寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし。」と言ったそう…
こんにちは。まんまでございます。 今回は岐阜城についてお話させていただければと存じます。 岐阜城(岐阜県岐阜市、金華山【標高329メートル】の山頂にございます)は、かつて稲葉山城と称され、その起源は鎌倉時代以前に遡るようですが、本格的に整備されたのは、戦国時代、斎藤道三公が居城とした頃のようです。その稲葉山城を織田信長公が1567年に攻略、この地方一帯を平定したのち、本拠地を小牧山から当城に移した際、麓の町などを含めて『井口』から『岐阜』と改名したことにより、爾来岐阜城と呼ばれるに至ったとのことです。 麓から望む金華山と岐阜城 現在の岐阜城として知られている天守閣は1956年に往年の姿を想像し…
中山道加納宿は加納天満宮の由緒がきに、つぎのようにかいてある。 加納天満宮 ご鎮座1445年、斎藤利永が加納の東南沓井郷に沓井城(旧加納城)をきずき、ほの守護神として天満宮を勧請した。記録によれば創始はさらにふるく、ほれより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀されとったという。 ほのあと、城主斎藤利政(斎藤道三)が稲葉山城にうつり沓井城は廃城となったが、天満宮は住民たちによってあつく奉斎されとった。 1600年関ケ原戦后、徳川家康は凱旋のおり、岐阜城(旧稲葉山城)を廃し、加納城を構築した。ほのさいに天満宮が城郭内にはいったので、あたらしい加納城鎮護のかみとして160…
出来たよ!! おぉぉ!!頂きまーす!!美味しそう!! 美味しい? うん!!美味しい!! 明日、サヤカ来るんやろ?何時? 昼に最寄駅まで来るから車借りるで!! ええよ!!てかボンボン可哀想やな、、、 何がよ?どこが可哀想なんよ!!笑 戦国時代の斎藤道三なんか殺して殺して武将になったんやぞ? 令和です!!罪悪感は無いの? 無いな!! 1ミリも? うん!!前から言うてるが一億募金すんねん!! あんなアホは腐るほど金持ってるくせに毎日、豪遊、散財やろ? 俺の方が世界の為になるやろ? そうやけど、、、 甘い!!恭子は甘い!! 手段は選ばんよ!! もし、書類を書く事が条件やったら借りてた? いや、いらん!…
おはよーございます。 こちら、Amazonの販売実績に取り憑かれた男のブログとなります。 本日現在の販売実績、0件でございます。 モノを売るとはなんと難しいことでしょうか。。いや正確には紹介しているだけですけども。 3件の販売実績を得るのがいかに大変か、身に染みております。それでも残り88日がんばっていきたいということで、今回は文庫本編でございます。 いくら売りたいからといって、自分的におすすめできないものまでなんでもかんでも売りつけるというのは流石に気がひけるので、前回もそうですけどこれを買った。これなら買いたいってものだけ紹介していきたいスタイルです。それでは本日もよろしくお願いします。 …
暑い。部屋で扇風機に当たりながら本を読んでいた。 『国取り物語』の第一部で松波庄九郎(のちの斎藤道三)が明り取り用の油を売って歩くというシーンがでてくる。 油のどろっとした感触と夏のどろっとした感覚が相通ずるものがある。 わが家は、親戚が奈良に住んでいるが、その親戚によると 「奈良は盆地で夏は暑く、冬は底冷えするほど寒いんだよ。夏は熱がこもって、風が吹かない日は『どろぉ~』とした空気がまるで油のようにただよっているね」というのを思い出した。 実際に、そうである。わが家の墓は奈良にあるため、盆には墓参りにゆくが、これは夏の空気感としてぴったりである。 読みながら、主人公が油売りになるのは、何か象…
■新たなる舞台 タイトル 異説覇伝~日輪の威光と轍~ ■大殿入れ替え「斎藤道三」「今川義元」「明智光秀」「武田晴信」「長尾景虎」 「松平元康」「羽柴秀吉」「松永久秀」「大友宗麟」「森蘭丸」 「九鬼嘉隆」「荒木村重」 「黒田官兵衛」「竹中半兵衛」「柴田勝家」「宇喜多秀家」 「真田昌幸」「島津義久」「雑賀孫市」「加藤清正」「前田慶次」 「蜂須賀小六」「堀秀政」「九戸政実」 ■同盟仕様の変更 ・盟主城への直接配備1人1部隊15コスまで ・盟主補佐にも直接配備可能に ・軍師も盟主城から強襲可能に ・軍師が参加している合流はスキル発動率+3% (10合流以上、軍師の参加人数×3%) ・目付の報告書で敵軍…
岐阜駅からバスで向かった岐阜公園。バスで15分ほどでしたが、酔いで完全に寝入ってしまいました。 16日(土)、14:30。岐阜城までは金華山ロープウェーと徒歩。金華山ロープウェーの山麓駅から山頂駅までは4分です(往復1100円)。 登山道や「瞑想の小径」もあるので、天気・体力・時間と相談して歩くのも良さそうです。 ロープウェーから見える長良川の素晴らしいこと。感動の風景ですが、今回もロープウェーからの写真は雨でした。 岐阜城は山頂駅から徒歩8分。 斎藤道三や織田信長ゆかりの城。 標高329m。天守閣からの眺めも素晴らしく、一周回って写真を16枚撮っていましたが、今となっては長良川以外さっぱり判…
我が宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます。南無阿弥陀。南無阿弥陀・南無阿弥陀・南無阿弥陀・南無阿弥陀。現世利益和讃。南無阿弥陀。我が家の再興は間違い無しでございます。南無阿弥陀。我が事業の再興は間違い無しでございます。南無阿弥陀。筋トレは間違い無しでございます。南無阿弥陀。入酸素は間違い無しでございます。南無阿弥陀。我が愛車のワックスがけは完璧でございます。南無阿弥陀。今度の車中泊は埼玉県を狙っているのでございます。南無阿弥陀。あの斎藤道三が寺を抜け出し国取り物語の舞台裏が美濃国でございます。南無阿弥陀。守護職大名は、美濃源氏の名門土岐氏でございます。南無阿弥陀。しかしながら土岐氏は、名門…
揖斐郡。池田恒興は信長と乳兄弟で森長可の義父。小牧・長久手の戦いで討死にした嫡男・元助の墓も。揖斐川町は春日局の誕生地。ネットで生誕碑の存在を知ったが正確な場所は分からず、まずは同町の歴史民俗資料館へ。早朝で閉まってるのは分かってたけど、外に付近案内図があると思った。だが、案内図はなし。散歩中の地元の人も知らなかったため、警察署へ。お巡りさんが3人がかりで地図を調べてくれ、僕のアイフォンに入ってるマップに印をつけてくれた。なるほど、これならお巡りさんにとっても口頭で説明するより効率的。時代の流れを感じた!春日局の父で明智光秀配下の義将として知られる斎藤利三の墓。この墓所探しが地獄だった!アイフ…
荒神の湯に浸かったら 平湯温泉方面へ R158安房峠旧道は通行止めなので 有料のトンネル抜けると 右手に見える 湯舟の残骸 トンネル工事の時の水蒸気爆発事故で吹き飛んだ 旧中の湯温泉 梓川に建設された大きな3つのダムのうち 最上流にある「奈川渡ダム」 ダムの上に国道が走る 道の駅 風穴 ソフトクリームを食べようと思ったら 超観光地価格なので買う気が失せ まず間違いない味のチョコモナカジャンボを屋外テラス席で優雅に味わう そういえば 道の駅 風穴の里 アーチ形の橋を渡ると 風穴が有るらしい 風穴というと 富士山の風穴や氷結には行ったことがあり 富士の風穴 それと同等なモノが此処にもあるのかな・・…