新島八重

(一般)
にいじまやえ

同志社大学の創立者、新島襄の妻。
「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている。

経歴

  • 1845年12月1日:父の山本権八、母のさくの三女として会津藩に生まれる
  • 一度、蘭学所の日新館の教授を務めていた川崎尚之助と結婚しているが、離婚している。これらの時期は定かではない
  • 1871年:京都に移り、1872年には京都女紅場(後の府立第一高等女学校、現在は鴨泝高校)の舎監兼教導試補となった
  • 1876年:新島襄と結婚。キリスト教の洗礼を受け、キリスト教式の結婚式を挙げた
  • 1878年9月16日:同志社女学校が正式開校となり、礼法等の教師を務めた
  • 1890年:夫の襄が病気のため死亡
  • 夫の死後は日清戦争、日露戦争で篤志看護婦となるなど社会福祉活動に貢献した
  • 1932年没

エピソード

  • 戊辰戦争の会津若松城籠城戦で自らスペンサー銃を持ち、男装して参戦したと言われており、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている
  • 八重が井戸の上に板を渡し、その上に座って裁縫をする姿に襄が心ひかれたというエピソードは有名
  • 新島夫婦の男女平等の姿勢から夫と対等にふるまう八重は、当時「悪妻」「鵺(ぬえ)」「烈婦」などと呼ばれた
  • 襄との夫婦仲は良く、襄はアメリカの友人への手紙で八重について「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です」と記している

大河ドラマ化

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