1876年(明治9)山口県に生れる.言語学を専攻,東大助教授を経て京大教授.特にキリシタン語学に新生面をひらき,語源語誌説に卓見を示す.文化勲章受章.1967年(昭和42)8月没. 〔主著〕「南蛮更紗」「南蛮広記」「東方言語史叢考」「東亜語源志」 「広辞苑」第五版(ISBN:4000801112)より
1876年(明治9)山口県に生れる.言語学を専攻,東大助教授を経て京大教授.特にキリシタン語学に新生面をひらき,語源語誌説に卓見を示す.文化勲章受章.1967年(昭和42)8月没. 〔主著〕「南蛮更紗」「南蛮広記」「東方言語史叢考」「東亜語源志」
「広辞苑」第五版(ISBN:4000801112)より
小林参三郎の妻小林信子が昭和2年に創立した静坐社の機関誌『静坐』については、「新村出・成瀬無極の脚本朗読会カメレオンの会と小林参三郎・信子夫妻ーーそして谷村文庫の谷村一太郎もまたーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。成瀬無極の「文藝坐談」が載っているというので、家蔵の同誌14冊を確認してみた。8巻7号、昭和9年7月には86回の「『嵯峨野の秋』について」が、17巻1号、昭和18年1月には146回の「職域奉公」が掲載されていて、家蔵の中ではこれが最後である。『無極集』(成瀬先生記念刊行会、昭和34年11月)の年譜昭和2年の条に「この年から小林静[ママ]子主宰の雑誌「静坐」に文藝坐…
『秋田雨雀日記』1巻(未来社、昭和40年3月)に新村出の脚本朗読会カメレオンの会と野淵昶のエラン・ヴィタール小劇場が出てくる。 (大正九年) 五月十六日★ 午後一時三十分の汽車で神戸を出発、京都へきた。四時前についた。林久男君がきていた。三人で、谷村という人の家を訪う。「仏陀と幼児の死」を買いそろえていた。新村博士および夫人はじつに感じのいい人だ。「土の子供」(園池、西、新村夫人、関嬢、折口教授、成瀬教授)「二十一房」(有島、殺人)故買(原)、新聞記者(野村)、教師(関)、重役(ぼく)看視(新村博士)、その他チエホフの「犬」を林君、野村君、新村夫人がやった。非常に感銘の深い会であった。 (京都…
「柳田国男年譜」(小田富英作成)*1昭和9年8月9日の条に「新村出宛てに、葉書を書く」とある。この葉書の文面は、菊地暁「拝啓 新村出様:柳田国男書簡からみる民俗学史断章」『国立歴史民俗博物館研究報告』第165集に掲載されている。葡領東印度の親日有力者Van de Pollが京都へ行くので、会っていただきたいというものである。追伸では、プールは「神戸の例のチャローズ?のことも知りをり候 多分同領事殿ニ二十二日頃迄ハ居り」と書いている。菊地先生はこの神戸の領事「チャローズ?」について、「未詳」とされている。私は、これを読んだとき、なんか見たことある人だと思って調べてみたが、結局分からないまま数年が…