『さて、画廊創業といっても、扱う画家が一変するわけではない。自分の力のおよぶ範囲でその間口を拡げていったものの、だいたいがいままでに知った作家の延長である。そのころ、私のカツギ屋画商時代に横浜で知りあいになった篠原薫という男が、ひょっこり店にたずねてきた。「いっしょに商売をさせてくれ」というのである。彼は船員あがりで、小さな喫茶店を横浜でやっていたのだが、絵が好きで当時、白日会に出品しており、その旗頭の富田温一郎さんをたいへん尊敬していた。それで、彼は富田さんの四号の『バラ』の絵をもって来て「これこそ玉のような作品だ」と賛嘆する。 なるほど、そんなものか"と壁にかけてわが最高の作品 ときめこん…