平清盛亡き後、源平の合戦(1180~1185)では、生田の森と須磨・一の谷の戦で神戸の地も荒れ果ててしまいました。 特に、あれだけ平清盛が力を入れて作り直した大輪田の泊の荒れ方は、酷かったようです。 時を同じく、奈良の東大寺は1180年の平氏による「南都焼き討ち」で、大仏殿や奈良の大仏が焼けたりして甚大な被害を受けておりました。 画像は下記よりお借りしました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E7%9B%A7%E8%88%8E%E9%82%A3%E4%BB%8F%E5%83%8F 大仏さんの頭や手が燃え落ちたよ…