大阪府大阪市にあった野球場。 正式名称は日本生命野球場。
生命保険会社大手の日本生命保険が運営していたが、1997年に撤去された。
日本生命が1950年6月30日、従業員の厚生施設として同市森之宮*1に開設した。
開場後はプロ野球の他、社会人、大学、高校などアマチュア野球でも使用されていたが、
1958年のナイター設備完成に伴い、近鉄パールスのフランチャイズ球場となった。
しかし、収容人員が僅か2万人強と少ないため、オールスターゲームや日本シリーズ*2を開催できず、
1979、1980年の広島東洋カープとの日本シリーズ、並びにプレーオフはかつての本拠地だった大阪球場を南海から間借り。
オールスターで主管球団が近鉄バファローズになった場合も、同様に大阪球場が使用された。
交通アクセスがJR大阪環状線と大阪市営地下鉄中央線の森ノ宮駅下車すぐであるという立地条件と、
グラウンドとスタンドの距離が近く見やすい事など、ファンにはうれしい球場であったが、
1984年、藤井寺球場にナイター設備が完成してからは試合数が大幅に減り、準フランチャイズ球場に降格。
その後も年間10〜20試合を実施した。
しかし施設の老朽化が著しく、設備不備で選手からも不評だったことから、徐々に開催数は減少。
更には大阪ドームが開場するなどの事情から、
プロ野球公式戦は1996年5月9日に行われた近鉄バファローズ−福岡ダイエーホークス*3が最後の試合となった。
1997年には球場そのものが取り壊された。
日生球場のあった地域の周辺歩道では写真にあるような野球場をかたどった舗装が施され、当時の面影を垣間見ることができるようになっている。