トヨタ自動車に次ぐ日本国内2位の自動車メーカー。
軽自動車を含めた台数ではホンダと2位争いを繰り広げている。スポーツイメージの強い車作りが得意で「技術の日産」と言われ続けていたが、労組・経営陣の癒着による求心力の低下、マーケティング、デザイン面で他社に後れを取ったこと、さらに当時のグループ会社である日産ディーゼル工業の急速な経営悪化も相俟って、経営危機に陥った。その時、ルノーから出資を仰ぎ、カルロス・ゴーン氏を社長として迎え、大胆なリストラを実施し、業績を急回復させた。
日産ではマーチからプレジデントまでの幅広いモデルを生産しており、乗用車に関してはフルラインメーカーとなる。日産自身が生産していない軽自動車についても、スズキや三菱からOEM供給を受けることで、販売ラインナップの中に加えている。現在はスポーツ路線から高級路線、デザイン優先の車種供給にシフトしているが、「技術の日産」と呼ばれていただけあって、超−低排出ガス仕様車を最初に発売したほか、車線維持+車間距離制御のオートドライブ機能を搭載した車種を発表したりと、環境や安全への取り組みについてもトヨタやホンダに比べて遜色のないメーカーだ。
※ちなみに、画面右上のCIマークはルノーとの提携後、変わっている。もし90年代前半の日産車が身近にあるのならば、比較してみると良い。
証券コードは7201。
1972年より日産自動車サッカー部(日産FC)を発足しJSLに参入。
Jリーグ発足後も横浜F・マリノス(旧・横浜マリノス)のオフィシャルパートナーとして参加。現在もなお名門として君臨。
マリノスの本拠地である横浜国際総合競技場のネーミングライツも取得した(日産スタジアム)。
また、サッカー日本代表のサポーティングカンパニーにも名を連ねている。
旧くは1962年の「特別機動捜査隊」以来「特捜最前線」、「はぐれ刑事純情派」、「相棒」などテレビ朝日系列の水曜刑事ドラマ枠をはじめ、特に1980年代前半は、ドラマ「西部警察」シリーズのスポンサーとして自社製品を番組内でアピール。マシンRS*2など日産車をベースにした改造車が登場し当時の小学生を中心に人気が出た。…他にも「大都会」や「あぶない刑事」、深夜ラジオ「パックインミュージック」も同社が提供していた。
1999年に栃木県で発生した、栃木県警による一般市民見殺し殺人事件について、当時日産関連工場で働いていた無実の被害者にたいして、突如懲戒解雇処分を行った。
2006年4月現在、ウェブ上ではこの件に対して被害者に過ぎない一人間の個人に対して名誉毀損とも言える行動を取った不当な対応に対して批判が発生している。
情報によると、元警察関係者の再雇用先として日産関連会社が機能していたとも言われ、元警察関係者に過ぎない人間の警察関係者(殺人事件犯人は警察関係者の家族である)犯罪事件の隠ぺい工作として働く事を企業を上げて支援している姿勢に対しその批判は拡大の一途をたどる。
参考サイト『栃木リンチ殺人事件』カルロス・ゴーン氏(日産自動車社長)への手紙