「中国人は恩義を忘れず、困った時に受けた支援を後々まで覚えている」という有名なことわざで、1972年日中国交正常化の際に、周恩来首相が田中角栄首相に言った言葉とされています。 1978年、鄧小平が松下幸之助に中国での工場建設を要請、松下電器が日本企業として初めて中国へ進出しました。 しかし、2012年の尖閣国有化ではパナソニックの工場で反日抗議の暴動が発生。 松下幸之助は中国で「井戸を掘った人」として知られているはずなのに、このニュースには衝撃を受けました。 世の中には、技術や教えを請う時は低姿勢なのに、いざ身に付けると急に横柄な態度になる人がいます。 国民性ではなく人間としての器の問題なので…