日蓮宗系の仏教宗派。 総本山は大石寺。
現法主は第68世早瀬日如。
日蓮正宗の信徒団体であった創価学会の興隆により大いに栄えたが、1991年11月に創価学会を破門し、檀家数が激減し寂れている。独自の信徒団体として法華講がある。 日蓮宗系だけあって他宗教に不寛容で、信者となる場合は他宗教と関係するものの破棄を求められる(謗法払い)。
先日の菩提寺で取り行われた彼岸会の法要に妻と一緒に参詣してきました。一昨年の11月に御授戒を受けた妻ですが今回が昨年亡くなった私の母の法要を除けば初めての寺院参詣でした。昨年は私の母だけなく妻の父も亡くなり今回の彼岸では妻が自分で父親の塔婆供養をしました。そして「せっかく塔婆を立てたのだからお寺の法要に一緒に行く?」と誘ったところ「たまには行ってみる」と一緒に参詣することになりました。これまで御登山や寺院に誘っても断られていたので正直彼岸会に一緒に行くとは思ってなくていい意味で予想を裏切られました。勤行はできないし(経本を黙読するだけ)唱題も恥ずかしいのか少ししかしませんでしたが、それでも自分…
末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり 今月の御講拝読御書は『阿仏房御書』の有名な一節でした。池田創価にかかるとこの御文は「自分が大御本尊」などというインチキ講義になってしまいますが教学を体系付けて学んで…
日蓮大聖人が身延に入山するとともに日興上人の富士地方の積極果敢な折伏が開始されその教線は拡大しその結果熱原法難が惹起します。(熱原法難については過去記事をリンクしましたのでそちらを参考にしてください)熱原法難の報告を受けた大聖人は時光に急使を遣われ残った信徒たちの保護を要請しました。熱原法難は平左衛門尉頼綱の意向を受けたもので熱原信徒に加担すれば幕府を敵に回すことになりますが、時光は大聖人の御意のまま熱原信徒とその家族を匿い守ります。そして大聖人から上野賢人という「賢人号」を授かります。しかしこのことが原因で時光は過分の租税や夫役を課せられるなど謗法者達から経済的な迫害を受けることになります。…
今時、偽書を造らずと雖も、本迹一致の修行を作す、豈蓮祖の獅子身中の虫に非ずや。我が日興上人は実にこれ蓮祖付嘱の写瓶なり。深くこれを思うべし云云。 今回は大聖人仏法における「師子身中の虫」に関する御指南です。「問う、蓮祖の獅子身中の虫これありや」との設問に『日興遺誡置文』の「僞書を造つて御書と號し本迹一致の修行を致す者は獅子身中の蟲と心得べき事」を引用し上記の御指南をされています。「本迹」というと一応は法華経の本門と迹門ということですが、総じて言えば「本迹」とは法華経に限りません。大聖人の仏法全般にわたって「本地」と「垂迹」が存在します。そしてこの「本迹」から、総別・能所・事理等の立て分けが生ま…
【五座御観念文】 某【○○家(父方)、○○家(母方)】先祖代々並びに当宗信仰の面々、内得信仰の面々、各々先祖代々の諸精霊、追善供養証大菩提の為に、南無妙法蓮華経。 乃至、法界平等利益自他倶安同帰寂光。 五座の御観念文は追善供養になります。過去帳がある方は御歴代上人の御命日忌(御逮夜)、大聖人の御法難、そして過去帳記載の自身の両親・祖父母等のへの御祈念をしたのちに五座の御観念文を読みます。私は過去帳を作る前には御歴代上人の御命日の一覧をネットからプリントアウトして御歴代上人の御命日の追善を御観念していました。因みに御歴代上人の御命日(御逮夜)は「追善供養証大菩提」ではなく、「御報恩謝徳申し上げま…
大聖人の御在世の素晴らしい御信徒達は大勢いますが、私の中では筆頭はやはり南条時光です。大石寺の開基檀那だということもありますが、(池田創価は大石寺周辺の広大な土地を寄進したと偉そうにしていますけど、元はその土地は全て最初に南条時光が寄進した土地ですから池田創価より時光の方が凄いです)何と言っても大聖人と日興上人という宗開二祖を少年期から生涯変わらずにお慕い申し上げた水の流れるような信仰は派手さはないけど、その芯の力強さに感動します。他の御信徒は日興上人とも所縁の深い佐渡の信徒を除き大聖人御入滅後は日興上人に対し大聖人同様に接する御信徒は少なかったように感じます。地理的な要素や日頃の交流など日興…
末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍い無き者をや 今月の御講拝読御書は『唱法華題目抄』の御文です。本抄は文応元(1260)年・大聖人が39歳の時の御述作で佐前の御書ですが十大部に数えられる重要な御書で15問の問答形式で書かれています。今回の御文は【問うて云く一経の内に相違の候なる事こそよに得心がたく侍ればくわしく承り候はん】(法華経の中で摂受と折伏の相反する事が書かれているのが良くわからないから説明してください)という問いに対する答えで、「末法は善がない人が多いので放…
当ブログでも散々指摘してきた創価のインチキ教学。こんな教学を学んでいるから学会員はいつまでたっても低レベルで法華講からの破折に対抗できず正宗の僧俗をデマで罵倒する事しかできない低俗な人間のままで成長しない。この創価教学の根本になっているのが池田創価の言う「実践の教学」というモノである。この「実践の教学」とは一体どんなものか?創価公式サイトでは「正しい仏法の法理を信仰実践のなかで学び、心に刻んで、御本尊への「信」を深めていくこと」と信仰者であれば当たり前のことをさも創価の専売特許のように大げさにかいてある。では創価の「実践の教学」とはどのような教学なのか?これは池田大作の指導を読み聞きすればすぐ…
日興上人の祥月命日の今日2月7日は母の祥月命日でもあります。早いもので母が他界してからもう1年が経ちました。午前中に菩提寺で焼香をして申し込んでいた塔婆を持って残雪の中、母の墓参をしてきました。父や友人達が亡くなった時もそうでしたがこうして月日が流れるにつれて色々なことを思い出し切なく寂しく思えてきます。もし今でも自分が創価学会員だったらと想像すると1年前の母の葬儀は学会葬をして初七日や四十九日の法要も行わず納骨し1周忌といっても塔婆供養もせずただ墓参して、あとは勤行の御祈念の時に在りし日の母を思い出しているくらいでしょう。それが創価では当たり前で他の追善供養のやり方を知らないならばそれはそれ…
昨日(2月4日)、菩提寺で興師会が奉修され参詣してきました。昨年は7日の祥月命日にされ参詣しその夕方に母が亡くなり大変な一日だった記憶が蘇りました。献膳の儀のあとに一遍通しの勤行と唱題そして御住職の日興上人にちなんだ法話を拝聴してきました。日興上人の御事跡については今更説明はしませんが過去記事(日興上人の略伝)をリンクしておきました。興師会は日興上人の祥月命日に奉修される法要でその意義については今さら語ることもなりませんが、私たちが末法悪世において日蓮大聖人の仏法に遭い奉り正しい修行を行い一生成仏を可能することができるのは一重に日興上人が大聖人の正法正義を堅く守護されたからに他なりません。故に…
人間(ここでいうところの正確には日本人)を内部から破壊・弱体化させる方法の一つに、脳内・精神をマインドコントロールさせることがある。この方法を日蓮正宗など最も正しい方向に導くことが可能であれば、各々は素晴らしき人格者となりうる。 現在はそうでもないが、かつては書店で山のように溢れていたポルノ系雑誌や漫画など(特に八十年代が凄い)は、青少年の心を蝕み軟弱としていた。ただいまは、販売の形が変わっただけで実質はネット上に、山をも越えるような大容量のコンテンツが相変わらず溢れており、最盛期の八十年代なぞもはや比較にはならない、無修正の性交動画などが小学生でも観れてしまえるような時代だ。だから書店がいく…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて私はこんなブログを書いているためか、あちこちから批判されることもしばしばです。もちろん生産的な批判や、私の間違い等を正してくださる賢明な読者もおりまして、そのようなご意見やご批判はありがたく思っています。 ただ問題なのは、日蓮正宗や創価学会、顕正会のようないわゆる大石寺系信者からの意味のわからない批判なのです。 例えばよくある批判に「お前は文底の法門を知らない」「日蓮大聖人の法門には文底の法門があるのだ」「お前は文上読みに過ぎない」というものがあります。 批判をされた方には申し訳ないのですが、日蓮の遺文から見れば「文底」は「法華経」の文の底という意味…
最近なんだか、ブログを書く気力がありません。😭😭😭 去年から、夫の体調が予断を許さず、緊張しまくり、確定申告を終わった時点で緊張の糸が、ぷっつり切れてしまいました。 自分のオーバーホールのつもりで、健康診断とか、お医者さんに行くつもりでしたが、又もや、夫のことで忙しくしています。💦💦 今は、宗教の正邪なんか(というか、邪教同士の『目くそ鼻くそを笑う』争いなどどうでもよろしくなりました。) この一週間は、大谷選手と水原通訳の問題にハラハラして、創価学会や日蓮正宗のことを考えることもありませんでした。 ごく普通の、ミーハー婆に成り果てています。😅😅😅 春先によくある、自律神経の乱れだと思いますが、…
いつもみなさん、ありがとうございます。 ところで『四菩薩造立抄』という日蓮の遺文をみなさんはご存知でしょうか。 この御書は録外初出、日蓮真蹟も古写本も現存しません。したがって同抄の成立については疑義が持たれているようです。 この御書は弘安2年5月17日の日付があり、仮に真蹟と判断するなら佐渡以降、身延にいる頃に書かれたことになります。 いくつかの伝によるなら、富木常忍からの供養の品物が贈られ、その中で仏像造立について富木氏が日蓮に指導を仰いだのに対して送られた書状ということになっています。 内容は日蓮が釈迦仏像を一尊四士(釈迦像の周りに上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩を立てて建立される仏像形…
気楽さんのXツイッターをみて思いました。 日蓮正宗が顕正会と和解して、顕正会員を吸収することが、日蓮正宗の宗勢拡大になるのかな? かつての創価学会のように顕正会員をひとつの講として扱う事は、創価学会を制御できなかった同じ轍を踏むことになりますし、 元顕正会員を、バラバラにして末寺に所属させても、元創価学会出身の法華講員と派閥ができて、末寺がますます新興宗教臭くなるだけでしょう。 私が所属していた末寺でも、元顕正会員がいましたけど、勤行の時の合掌の姿勢が違和感がありました。 法華講では、勤行の時の姿勢、合掌、肘の角度までしつけられましたが、身についた癖はなかなか矯正できませんし、特に大人は、信頼…
『極楽浄土に女性はいない。』 (気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆、20243.16)を読んで 「優れてめでたき方便品と寿量品だけ読んでいればいいから、余計なものは読まないで。」 って、日蓮正宗や創価学会が言うのを真に受けて、勤行要典以外の法華経なんて読んだこと無かったわあ。 即身成仏も、 女人成仏も、 一生成仏も、 私達、うまいこと言われて、その気にさせられていたけど、修行して徳を積んでも、極楽浄土に行くには、男の人のアレを生やして、男にならないと行けないんですって。 奥さん、どう思います? 男女の別は無いはずなのに、わざわざアレを生やさないと極楽浄土へ行けないなんて。 双六で「上がり!」…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて私がここで日蓮正宗や創価学会といった大石寺系教団の矛盾点を取り上げ、批判するのは自身のかつての信仰姿勢の反省でもあります。 口汚い誹謗中傷は否定されるべきですが、根拠のある批判は自由であるべきです。 ブログ記事について、読者から多く評価して頂いており、ありがたい限りですが、一部の誤りについては「X」旧TwitterのポストやDM、またメール等でご指摘頂き、一部は訂正し、自身の見解も改めたものも存在します。 このブログを開設したのは2016年で、もう8年目に入るくらい長く書かせて頂いていますが、その中で私の見解も少しずつ変化してきています。多岐に渡り煩…
これから本格的に宗教の議論に入る前にコメントを一つ挙げておく。それは、宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある、ということだ。 これは、イスラム教徒による宗教分類であるが、比較宗教学のために便利な分類でもあるので、この本においても採用したい。 「啓典宗教(revealed religion)」とは啓典(正典=canon, Kanon, cannon)を持つ宗教である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教である。仏教、儒教、ヒンドゥー教、道教、法教(中国における法家〈ほうか〉の思想)などは啓典宗教ではない。 【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、…
『南無妙法蓮華経』は、もはや商売道具です。 『本尊掛け軸』も、宗教餓鬼の商売道具です。 南無妙法蓮華経を唱えても、悩みも解決しないし、成仏もしません。その証拠に教団信仰(日蓮正宗・創価学会)をして人格や生活が向上する人は、ほぼ居ません。 (一部の例外は、給料を貰っている教団職員、僧侶、教団から仕事を貰っている業者、創価学会では芸術部員等は、仕事を貰える【現世利益】があります。それ以外の末端信者はお金と労働力を搾取されるだけです。) 現世の生活が向上しないのに、信者に金銭を要求して、来世の幸福や成仏を口にする教団職員とは怖いもの知らずです。 心を平穏にするために釈迦の教え、日蓮の教えを知りたけれ…
寺院・建物は残っている。だが、そこに人がいない。語るべき人がいない。いわば伽藍堂。心のある人、深い境地の人がいてこそ寺は意味がある。東京の青山〜千葉の大多喜〜熱海〜富士〜磐田の旅。クルマで大移動。熱海での打ち合わせの後、日蓮門下の寺を訪ねた。①妙厳寺。千葉県夷隅郡大多喜町。30歳のときに訪ねて、ここで唱題(湯川上人の唱題法 座禅〜唱題〜座禅)。そのときスカッーっとひろがった世界があった。創価の憑依から超越突破した瞬間であった。身体的実感は強いな。そこから、あらゆる宗派はそれぞれの味わいがあり、縁に従ってすすめばよいとわかった。以来、野坂上人とは深いお付き合い。お訪ねしたが、あいにく住職は不在。…
「いい歳をした宗教2世が親を謗るのはみっともない。」 とか言う意見があるが、私はそうは思わない。 特に50歳代以上の2世や、3世は、今のようなマイルドな創価学会ではなく、邪宗、堕地獄、反逆者等の恐怖で洗脳され、人材グループで軍隊式の調教をされ、親孝行という日本人なら反抗しがたい言葉で、人生のほとんどを教団に隷属させられ搾取されてきた。 渾然一体、「教団の最先端の洗脳教育係が両親だった」という悲劇を、恨んでも悲しんでも、とにかく教団の奴隷を辞めて一人の人間になるという、人生最大の戦いの最中なのだ。 親にだけは批判の矛先を向けずに、教団だけを批判できればそれも上等だが、そんな余裕は無い。 それでも…
世相閻魔帳89「顕正新聞」令和6年3月5日号 日蓮正宗(宗門)の甲信布教区で発行されている機関紙「甲信たより」(第181号)に掲載された甲信布教区宗務支院長・石山寿恩の「年頭の辞」には 「御法主上人(早瀬日如管長)は、『広布の戦いは、けっして停滞があってはならない。停滞は後退につながるからであり、後退は敗北である(趣意)』と、『前進』することの大事を御指南遊ばされました」 と記されていた。 しかし前回の本コラムで述べたとおり、早瀬管長の発破も虚しく勧誘が著しく「停滞」している宗門は、令和4年末時点の信者数が前年同日時点と比較して3500人も減少、すなわち「後退」してしまった。 石山が引用した早…
3月11日は創価の「小樽問答記念日」なので今回は「小樽問答」の話をしようと思う。「小樽問答」の音声は現在ではYouTubeなどで自由に聞くことができるが、この音声を書き写した『現代宗教研究』の【創価学会と日蓮宗の小樽問答記再現記録】というテキストがある。創価でも「小樽問答誌」を発刊しているがこちらは当時の流行った「お富さん」をもじり「いきなドンスで身延の山に、とんだ姿の黒いつら、死んだはづだよ宗俊さん、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ祖師堂河内山、エッサオー御開帳」などと品のない事が書いてありテキストとしては不適切で不愉快。従って【小樽問答記再現記録】が一番正確な小樽問答のテキストだと思われる…
たまたま仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来って、法華経は末代の機に叶い難き由を示す。故に、施主もその説を実と信じてあるあいだ、訪わるる過去の父母・夫婦・兄弟等はいよいよ地獄の苦を増し、孝子は不孝・謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し、悪魔の眷属となる。 今月の座談会御書も以前講義した御文なので過去記事のリンクを読んでもらうとして(しかし同じ御文ばかりだな創価の座談御書)、今月の創価学会員の為の御書要文はお彼岸も近いので『唱法華題目抄』の上記の御文を選んでみました。お彼岸と言っても創価では会館の御本尊への献膳もなければ(創価執行部の創価本尊は単なる掛…
印度の映画と「ブラック・ジャック」ー『マッキー』と『バーフバリ 伝説誕生』と『マハーバーラタ』のことー かくしてもう参月となった。 公明・山口代表 自民・武田氏の答弁「残念。日頃から監督するべき」 (msn.com) 其の公明党は「日蓮正宗」からはすでに破門され個人崇拝教の如くになって居り所詮は邪教と言えなくもないがでも邪教が必ずしも個の幸福に役立たぬ訳では無い。 尚個人的にはかの「エホバの証人」にせよ其の「創価學會」にせよ惡いとは思いません。 むしろ所謂「宗教」はニンゲンの社會の過酷さに對し常に壱つの救いであり希望なのでもある。 ところが「宗教」は必要以上に政治権力に近寄るべきではそも無くさ…