この時代にはまだ後世のいわゆる茶道などは生れてない。 けれど喫茶の風は、ぼつぼつ、拡まりかけていたのである。 禅僧の手で漢土から渡来した始めのころは、 禅堂や貴人のあいだに、養生薬のように、 そっと愛飲されていたにすぎなかったが、 近ごろでは “茶寄合《ちゃよりあい》”などという言葉さえ聞くほどだった。 花競べ、歌競べ、虫競べなどの遊戯にならって、 十種二十種の国々の銘茶をそろえ、 香気や色味をのみくらべるのを“闘茶”といい、 その闘茶にはまた、 莫大な賭け物をかけたりする婆娑羅な人々もあるとは ——高氏も、聞きおよんでいたことだった。 けれどいま、道誉が彼をみちびいた離れは、 田舎びた無仏の…