日露戦争後の1910年、日韓併合条約により朝鮮半島が日本に併合されたこと。
国際法的な手続き的には合法なものであったが、調印の過程において露骨に武力をちらつかせるなどして実質的には強制されたものであった。日本と並んでロシア、清朝の圧迫が存在したため、対抗上、親露、親清朝派とならんで親日派も国内ではそれなりの地歩を占めていたため、呼応する勢力が国内にいたことは事実であるが彼らですら併合まで求めていたわけではなかった。併合の前段階の保護条約の段階から、高官の抗議の辞職、自殺をするものが相次ぎ、民間の儒者をはじめとした反乱があいついだ。日本が併合しなければ他国が併合していたであろうというのは蓋然性の高い推測であるが、そのことはこの併合が韓国の意に反して武力によって強制されたものであるということと両立する別の問題である。