瀬戸は、瀬戸川の上流の洞と呼ばれる地域から発展し始めた。焼き物を作る窯は山の斜面につくられた。明治になりその窯は瀬戸川を挟んだ斜面に窯が作られ、石炭窯に変わる中で平地に移り瀬戸川の河岸段丘上に工場ができる。川沿いの低い土地は田畑。村と村を結ぶ、名古屋城下に行くのに街道ができる。洞から郷と呼ばれる地域を抜けて東本町・西本町、新しい歓楽街の新開地、さらに今村の中心地、狩宿へ向かうのが南新谷のメインストリートだった。 今回は、地図の「後の新開地」から東へ歩いた。 新開地は明治に入ってから田畑を埋めて新しく歓楽街としてできた地域だ。瀬戸らしくないまっすぐな道になっている。写真は『新開地』の交差点、瀬戸…