ヤマト王権樹立以前に「香取海」周辺で暮らしていたのは誰? その先住民を、皇軍はなぜ滅ぼさなくてはならなかったの? 実は、誰も何も隠してはいないのかもしれません。 古代のことを知らない私が気づけないだけなのかもしれません。 なにしろ日本神話が作られた当時と今とでは"常識"が違うので。 皇軍は先住民を討伐した際の忌まわしい手口を自慢げに語るのに 滅ぼした先住民のことは「賊」の一言で片づけています。 「賊」の正体は不明ながら、『常陸国風土記』に今の霞ヶ浦周辺での 征討軍の様子が描かれています。 崇神天皇の御代、建借間命が率いる皇軍が七日七夜、杵島(きしま)ぶりの歌舞を 楽しんでいたら、賊が老若男女勢…