鰭崎英朋の項で書いたように、明治40年代、中島孤島は泉鏡花とも交流があった。おそらくは個人的なつきあいというよりは、「文藝革新会」などのグループの仲間としての交流のほうが多かったのではないかとも思われる。 文藝革新会の活動自体は、明治43年5月頃には自然消滅するように終息してしまったのだが、そのあとも、泉鏡花を含む文藝革新会のメンバーの一部は、気の合う仲間同士としての集まりを設けてときおり集まっていたようだ。 資料によれば、明治43(1910)年4月に泉鏡花は親しい仲間で集まる会「きんぴら会」を催しているが、そこには中島孤島も招待されている。この会については、泉鏡花の親友である笹川臨風が著書で…