浜松城の古名*1。
最初に誰が作ったかは諸説*2ある。とりあえず戦国初期、永正年間に建てられたと見られている。
永正9年には大河内貞綱が曳馬に籠もって今川氏親と戦っている。このときは今川勢の坑道戦術によって陥落している。その後、大河内貞綱による一時の奪回を経て、今川家臣飯尾氏の城となる。
桶狭間の後、当時の城主である飯尾連竜は徳川家康に内通する。これが発覚したため、最終的に今川氏真によって連竜は謀殺された。
城は最終的には永禄11年(1568年)に家康の手中に帰している。この地を遠州経営の拠点と定めた家康は、2年後の元亀元年から浜松城を造営している。
→浜松城