小説家。昭和6年(1931年)生まれ。代表作は『紙の汚れた手』など。
カトリック信者。
財団法人日本船舶振興会(通称・日本財団)前会長。
夫は三浦朱門。
保守派の論客で、政府関係の諮問委員会の委員を多数務める。
週刊ポストにエッセイ「昼寝するお化け」を隔週連載中。
2015年2月11日産経新聞にアパルトヘイトを賞賛するコラムを掲載して炎上。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために居住を共にするということは至難の業だ。
もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だから彼等は買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水の出ない建物になった。それと同時に白人は逃げだし、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」