ノンフィクション作家。1963年東京都生まれ。 関西学院大学法学部法律学科卒業後、広告会社、出版社、編集事務所を経てフリー編集者兼ライターとして独立。 『絶対音感』で第4回小学館ノンフィクション大賞受賞。2007年、『星新一』で講談社ノンフィクション賞、日本SF大賞、大佛次郎賞を受賞。 また、真中瞳主演で映画化された、「ココニイルコト」のもとになったエッセイは、『なんといふ空』に収録。
母の最終講義 作者:最相葉月 ミシマ社 Amazon タイトルから母親の介護に関するあれこれかと思ったらその部分は6章あるうちの1章だった 最相氏のノンフィクションは重厚でみっちりとした取材が好きだがこれはもう少し軽めのエッセイ的な読み物 そういうものとして読めば悪いわけではない
この春、めぐってきた岐路。 前回2回の投稿のように、仕事自体には出会いや発見が多く――― アートを通した障害のある人たちの支援事業ということもあり、作家である利用者さんたちとの、日々の交流は言葉で表せないほどのギフトでした。 そんな職場で今年に入って露呈した問題が、私にとってなかなか相いれないものと分かりました。 この数ヶ月、気持ちが休まらず、不眠や耳のけいれんなど、自分ではコントロールできないことが起き始めました。 頭では仕事を続けられる方法を模索していたものの、自分の心身はブレーキをかけていたのかもしれません。 長い目で見れば、職場の問題も改善に向かうのかもしれない。 (利用者さんたちとの…
証し 日本のキリスト者 作者:最相 葉月 KADOKAWA Amazon まあとにかく分厚い そして内容が人様々ではありながらつまるところいかに神を信じるに至ったかであり またその過程はあまり言語化されない部分が多いような感じで 正直読み進むのに少々難儀した 信じる人は信じるのだな そして私からはちょっと遠いところだな という感想
「たとえ失望に終わったとしても、諦念が明日を生きる力に転換することだってあるのです。」(読売新聞2023年5月18日 人生相談 最相葉月さんの回答より抜粋) 最近になって親に遊んでもらった記憶がないことに気づき、両親から愛されていなかったのかと疑問を持った30代の主婦からの相談に対し、回答者の最相葉月さんが、気持ちを整理するためにも親に手紙を書いたらどうかと提案した際に添えた言葉。 どんな状況にも当てはまる言葉で、グッときた。 精一杯の努力が報われなかったとき。 頑張った仕事が誰からも認められなかったとき。 信頼していた人から裏切られたとき。 ・・・いろんな出来事から起こる失望。 失望に沈み、…
最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」読了。 小説新潮2007年11月号掲載の最相葉月と新井素子の対談と、最相葉月の著書「仕事の手帳」に収録されている、星新一の評伝を書いたときのエピソードを綴った文章も併せて読んだ。 星新一と言えば中高生が一度は通る読書体験というイメージで、世代的に最相葉月より七歳ほど下の自分も御多分に漏れず、中学生くらいの頃に文庫本を数十冊買って読んでいた。今もそれは実家に置いてあるが、もう三十年以上読み返したことはない。 それでも、この本に出てくる星新一の文章の断片はどれも記憶していた。十代の頃の読書がいかに決定的に重要なものかが分かる。 星新一の父・星一のことや、S…
この世界に生まれてきた人は、みんな経験している胎児の時のお話。 自分がお母さんのお腹の中にいた記憶は全く残っていない。 胎児は生物の進化をすべて辿って、10か月で人間の形になって出て来ます。 最初は卵のような形をしていて、勾玉になり、ウーパールーパー!?の時期があり、 少しずつ人へと近づいていきます。 水の中でどうやって呼吸しているんだろう? ごはんを食べずにどうやって生きているの? おしっこやうんちはどうしているの? など、子どもが疑問に思うようなことを取りあげ、深い話をしてくれているところが 本書の素晴らしいところ。 私が一番驚いたのは、胎盤を通して、子どもから母親に、父親の遺伝子が移行し…
●5月某日: 雨。なっかなかの大雨。午前中、「オンラインでchit-chatブレストミーティング」主宰。6人でお話、1時間はあっというまだが手ごたえあった、よかった。話すのは大事。N事務所まで徒歩15分でパンツの膝下がプールにでも入ったかのように‥‥。『セラピスト』の読書メモ。夜ごはんは、ギョウザ、キャベツと卵スープ、サラダなど。 note.com ●5月某日: N事務所出勤、電話打ち合わせなど。帰宅後、執筆しつつ『Butter』リリースのカウントダウン! 45分に、なんかトーストにバターをトッピングするタリョラ的な牧歌的バラエティが始まってウケるw メンバーと一緒にカウントダウンして、そのま…
戦後のカウンセリング史と日本人同士のコミュニケーション特性、そしてここ30年くらいの心の病の流行と社会定義の変化まで振り返ることのできる、内容の濃いドキュメンタリーでした。 なかでも言葉と思考の関係性について話されている部分が興味深く、あとがきでこのように語られていました。 言葉によって因果関係をつなぎ、物語をつくることで人は安住する。しかし、振り回され、身動きさせなくするのもまた言葉であり、物語である ━━。 中井久夫のそんな言葉が取材中、頭を離れなかった。 それは、ノンフィクションといいながらも、自分の見立てやストーリーからはみ出るものを刈り取る行為を意図的に、あるいは無意識のうちにしてい…
でも、1001編を書き上げてからは、家族で過ごすことが多くなり、心は少し和らいだようだった。~中略~。 ある日、若い編集者が家にやってきたとき、壁に飾っていたピカソやビュッフェのリトグラフを見て驚かれたことがあった。 すると新一は、「いやあ、ほんとうの楽しみはこれなんだよ」 といって、家族のアルバムをうれしそうに見せていた。 人の書く星新一はどれも香代子の知らない顔ばかりだったが、ようやく家に戻ってきてくれたような気がした。(最相葉月『星新一 1001話をつくった人』新潮社、2007) こんばんは。上記の引用に「2007」と打ち込みながら「もう10年以上も前のことかぁ、最相葉月さんの『星新一 …