有賀城本丸の城址碑と解説板 鎌倉時代に、諏訪神家一党三十三氏のひとつとして名前の挙がる諏訪一族の有賀氏が築いた山城で、承久年間(1219-22)の築城という。有賀は、アリガではなくアルガと読む。 城が築かれたとされる前後、諏訪湖西岸の岡谷の辺りに有賀四郎という武将が居たとされ、築城者はこの人物なのかもしれない。また、承久3年(1221)の承久の乱前後の事であり、この後も有賀氏が代々居城していることから、新補地頭として新領地支配のために築かれたという可能性もある。いずれにせよ、諏訪と伊那谷を結ぶ有賀峠の街道筋を抑える役目があったのだろう。 以降の有賀氏は、諏訪大社大祝の諏訪氏に従って活動したよう…