元禄12年閏9月19日。近頃、葭町の榧(かや)に書付が落ちていた。葭町に車を置いたら火をつけると。随分と幼稚な書きようであった。町々で調べがあり、馬子などの仕業かと。御中陰(49日)の間に、加藤権四郎が沖へ漁に出かける。廻りの者に附けられる。近頃、隼人正に叱られたと。
文政3年10月22日。成瀬浄翁(隼人正正)殿が死去する。26日から3日間は鳴物を禁止する。
文政3年7月25日。高橋河内守殿が卒去(死亡)する。3日鳴物を停止する。
文政3年3月19日。嘉千代様(徳川家慶)様去る19日逝去につき、28日まで物静となり、諸所開帳は日延べ(延期)し、日数だけ延びる。
元禄9年11月14日。夜、触状がある。一筆申し入れる。本院御所様が去る10日に崩御なされた。とりわけ鳴物などは止め、諸事穏便(静かにしておく)にとのお考えである。その期日についてはまた言い渡されると御老中から言い渡される。その意をよく心得るように。恐惶謹言。11月14日、酒井金太夫。両城代。
元禄9年6月8日。雨が降る。右兵衛督の御妹が亡くなられる。大公御衆への廻文がある。殿様の御姫君が去る4日に御早世なされたので、明後日9日まで諸事物静かにするようにと。
元禄7年6月21日。この日から能が催されるはずだったが、瑞光院が亡くなられたので今月中延期される。
元禄7年4月20日。相原久兵衛宅で組中へ服忌令の言渡しがある。内容はあまりに長いのでここでは略す。
元禄7年4月8日。雨が降るが、巳刻(午前9時)より晴れる。この日から明日まで清姫様御逝去につき穏便。
元禄5年11月8日。夜、雪が降り続く。この日から明日9日まで相応寺で新君様の御法事が営まれる。宰相様(綱誠)はこの日まで喪に服される。