吉崎御坊における本願寺の急激な膨張の理由は、なんであったのだろうか?蓮如が編み出した数々の革新的布教方法は過去の記事で紹介した通りだが、実のところ、それらのテクニックの殆どは、この吉崎の地にて完成しているのだ。 名号本尊を書きに書きまくったのも、この吉崎御坊時代である。毎月18日には200枚、25日には300枚、28日は100枚の名号本尊を書くのが蓮如のルーティーンになっていたようだ。この日以外にも書いていただろうから、月に1000枚以上は生産していたのは間違いないだろう。 しかし本願寺拡大に最も寄与したと思われるのは、やはり自身の教えを分かりやすく書いて信徒に送った「御文章(御文)」の存在な…