過去の話をスラスラ喋れるのは、(ほぼ)変えようのない事実だからだ。逆に、未来はあまりにも不安定でいかようにもなるから、私は途端に萎縮する。あまりにも、自由すぎるんだ。なんでもいいよ、どんなことでもいいよ、命ある限りいつでもいつまでも自由に描けるよ、と放り出されると、何にもできない。真っ白で、真っ黒で、何も思いつかない。適当に、適度に、思う通りにと言われると困ってしまう、いつもの“少し先の状態”と一緒だ。普通に、それなりに、それでいて自分らしく、と未来に希望を描くことは、ややこしくて仕方がない。 過去が思いを馳せた未来というのは現在でもある。小さな頃に“夢”と称したものについて思い出してみた。記…