仏教の予言思想で、釈迦の立教以来1000年(500年とする説もある)の時代を正法、次の1000年を像法、その後10000年を末法の3つに分けて考え、釈迦の教えが及ばなくなった末法においては、仏法が衰退して正しく行われなくなるという考えである。特に大乗仏教で数多く主張される考えである。中世以降の日本では末法思想をこの世の終わりと考える終末論と同じように考える人が多いが事実誤認である。
SNSで創価学会員らしき人物が「大聖人本仏論の根拠である末法は最近の研究では1600年前後の安土桃山時代とされているので大聖人が本仏という根拠はない」とう疑難を持ち出しているこを知ったが学会員が大聖人本仏を否定する様は憐れみを感じる。もっとも私も末法論の疑難は過去に何度か受けたことがある。日蓮正宗の教義と仏教に無知ゆえの論理だが反論を書いてみる。現在では釈迦は紀元前500年前後の人物であるというのが通説で、それに従って末法を滅後2000年説に当てはめると確かに末法は西暦1500年前後になり鎌倉時代ではない。しかし摩耶経などに説かれる末法は滅後1500年説に従えば紀元1000年前後辺りから末法と…
上の写真は、先月和歌山市の博物館で見た「那智経塚」の断面模型です。 この塚は、那智の滝の参道付近で大正七年(1910)に発掘されたものです。 経塚は、平安時代の末期から各地で造られたもので、経典を埋蔵した塚のことをいいます。この塚が造られた目的は、経典の保存です。平安末期には写経が非常に盛んとなり、立派な厨子の中に保管されたり、さらにはこのような塚を作って保存しようとしたのです。 この動きの背景となっていたのが「末法」という仏教独自の歴史観です。お釈迦さまが涅槃に入られると、教えが正しく伝わることが徐々に難しくなると考えられていました。教えが正しく伝わらないばかりでなく、教えを受ける人間の能力…
平安後期に流行した「浄土思想」。これを象徴するのが「この世をば~」の歌で有名な、わが娘を3代に渡って天皇の后に送り込み、位栄華を極めた藤原道長の死に様である。 己の死が近いと感じた彼は、法成寺という寺を突貫工事で建てさせた。寺には三昧堂・阿弥陀堂(無量寿院)・五大堂などの伽藍が立ち並び、阿弥陀堂の本尊にはもちろん阿弥陀如来を据えた。夕方になると、道長を先頭に大勢の僧侶たちが念仏を唱え始め、「浄土はかくこそ」と思われるほどであった、と伝えられている。これはつまり、浄土を地上に再現しているわけである。 道長は死に臨んで、東の五大堂から東橋を渡って中島、さらに西橋を渡り、西の阿弥陀堂に入った。そして…
血圧値 126/77/69 酸素飽和度 99% 体温 36.1 体重 66.7キロ この前「近・未来」を取りあげましたので、今回は「超・未来」、「ミロクの世」について考えてみましょう。 ミロクとは「弥勒」。 教科書に載ってる仏像で有名な「弥勒菩薩」は、梵語でマイトレーヤ、釈迦牟尼仏の次の仏様として、遠い未来に仏陀(如来)になる予定の人です。 今は兜率天で修行・瞑想中。なので、菩薩とされてます。 基礎となる仏典はこの4つ。 『観弥勒菩薩上生兜率天経』『弥勒下生経』『弥勒大成仏経』『仏説無量寿経』 「上生」というのは、兜率天に転生してそこで教えを受ける、という意味で、「下生」というのは降臨した弥勒…
【1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタの紹介です。】 平安時代後半、仏教が滅びることを説いた思想です。 釈迦の入滅から2000年後に、釈迦の教えが衰えて世の中が乱れる「末法」の時代が始まると考えました。 「末法」の時代は1052年から始まるとされ、人々の間に不安が高まりました。 仏教が滅びるまでの期間を3段階(三時説)に分けています。 釈迦の入滅から500年ないし1000年が「正法(しょうほう)」の時代、次の1000年が「像法(ぞうほう)」の時代、次の10000年が「末法(まっぽう)」の時代、この「末法」の時代は、世の中が乱れると考えます。「末法」は1052年から始まるとされ、人々の間…