1872-1945。ジャーナリスト。文筆家。 大正、昭和前期に活躍。日本で始めて新聞社に調査部(写真や記事、人物情報などのデータを管理する部門)を作り、さらに「縮刷版」なる紙面のリプリントを開発して記事情報が参照できるようにした。 難しいことを解りやすく書くエッセイが好評だった。星新一が文章の手本にしたという。全集も出た。 記念館も設置され、近年再評価が進んでいる。
嘗て戸川秋骨は、日本人を「米の飯と、加減の宜い漬けものがなくては、夜が明けない」民族なりと定義した。 実に単純で、わかりよく、反論の余地のないことだ。 筆者としても戸川の論を首の骨が折れるほど力強く肯定したい。 美しく炊きあがった銀シャリには一種の威厳が付き纏う。 この感動を共有し得る者こそが、つまるところは日本人ではなかろうか。 福澤諭吉先生が保健のために日々嗜んだ運動は、散歩に居合い、それに加えて「米搗き」だった。本人の言葉を藉りるなら、「宵は早く寝て朝早く起き、食事前に一里半許り芝の三光町よりして麻布古川辺の野外を少年生徒と共に散策し、午後は居合を抜き、又約一時間米を搗き、而して晩餐の時…
ふと気になった。日本国の風景に自動販売機が溶け込んだのは、いったい何時頃からだろう? 楚人冠の紀行文を捲っていたら、 …チョコレートの自動販売機があるので、これへ十銭投(ほふ)りこんだが、器械が故障で、チョコレートは出ない。 こういう条(くだり)が見つかったのだ。 昭和十一年七月、盛岡駅待合室の描写であった。 (Wikipediaより、盛岡駅) 注目すべきは、自販機そのものを珍しがって記したのではない点だ。 それが故障中であり、せっかく投じた十銭硬貨が無為に帰したのであればこそ、楚人冠は筆を動かしたのだろう。金を入れれば商品を吐き出す、その種の機械は彼の認識下に於いて極ありふれたものであり、み…
またずいぶんと蔵書が増えた。 第六十二回神田古本まつり、御茶ノ水ソラシティ古本市。 読書の秋に相応しいイベントの数々。そういう場へと、なるたけ足を運んだ成果だ。 古書が増えれば必然として、新聞紙の切り抜きやら、名刺やら――先代、先々代の所有者の私物類もまた増える。 以前の記事で「運命からの贈り物」とか、スタンドの矢を前にしたディアボロ気取りで名付けたヤツだ。 やはり色々見つかった。 たとえばこれ、昭和十七年十月二十九日の某新聞紙。 わざわざ広告欄を切り取っている。薄っすらとだが、色鉛筆の跡も確認。次に購う書籍でも選定していたのだろうか。 なお、この三日前に南太平洋海戦が行われ、空母ホーネットが…
手術(オペ)で切除した腫瘍の味を確かめるのを事とした、例の外科医先生といい。 戦前日本の学者というのは、奇人というか、どうもマッドな香りが強い。 植物園の住人ですら、四分五裂した人体のアルコール漬け標本を平気で持っていたりする。 八田三郎のことである。 (北大植物園・博物館) 北海道大学農学部附属植物園の管理者の任を、この動物学者が帯びていたころ。同地を当代の名ジャーナリスト、杉村楚人冠が取材しに来た。 そのとき「珍しい品をお見せしよう」と持ち出したのが、前述のゲテモノだったというわけである。 以下、杉村の記事をそのまま引くと、 札幌神社に詣でゝ後植物園に八田博士を訪ふ、博士は珍しいものを見す…
イギリス人で時計と聞くと、私の脳にはどうしても、『ジョジョの奇妙な冒険』がまず真っ先に浮上する。 第一部「ファントムブラッド」の序盤も序盤、ジョナサン・ジョースターの懐中時計をディオが勝手に持ち出して、しかのみならずそのことを嫌味ったらしく見せつけているあのシーンが、だ。 ジョジョの奇妙な冒険 (1) ファントムブラッド(1) (集英社文庫(コミック版)) 作者:荒木 飛呂彦 集英社 Amazon 江尻正一なる日本人がかつて居た。 ロンドンにだ。 大正八年五月というから、欧州大戦の余燼も強いそのころにブリテン島の土を踏み、以降およそ七ヶ年、彼の地で過ごした人物である。そしてその間、南北ヨーロッ…
1910年、ポルトガルで革命が勃発。 「最後の国王」マヌエル2世をイギリスへと叩き出し、270年間続いたブラガンサ王朝を終焉せしめ、これに代るに共和制を以ってした。 ポルトガル共和国の幕開けである。 (Wikipediaより、革命の寓意画) この国が「ヨーロッパのメキシコ」と渾名されるに至るまで、そう長くはかからなかった。 「彼等の首は三ヶ月ごとに挿げ替わる」と英国人が言ったのは、必ずしも皮肉のみとは限らない。 実際問題、ポルトガルでは1910年から1926年――たかだか16年かそこらの間に、内閣の更迭されること、実に48回の多きに及び。 大統領中、四年の任期を全うし得た者たるや、アントニオ・…
楚人冠がこんなことを書いていた。 物の味といふものは、側に旨がって食ふ奴があると、次第にそれに引き込まれて、段々旨くなって来るもので、そんな風に次第に養成(カルチベート)されて来た味は、初から飛びつく程旨かったものゝ味よりも味(あじはひ)が深くなる。(『十三年集・温故抄』151頁) 料理漫画を片手に持しつつめしを喰うとやたらと美味く感ぜられる現象とも、これは原理を同じくすまいか。 この用途に具すために、『孤独のグルメ』や『鉄鍋のジャン』、『食いしん坊』等々を常に手元にひきつけている私である。 (『孤独のグルメ』より) むろん、礼儀作法の上からいったら落第もまた甚だしいのは承知の上だ。 しかしな…
――何事でも、その内幕を知ってゐると、それに対する信用が半減される。 『知らねばならぬ 今日の重要知識』の序文にて、志賀哲郎はいみじくも言った。 蓋し至言といっていい。 例えばこの私にも、「小作争議」を弱者の必死の抵抗と、追い詰められ、虐め抜かれた挙句の果てに立ち上がるのを余儀なくされた、さても健気な行為だと、そのように認識していた時分があった。 が、歳を経て、古書を読み解き、詳細な手法を知るにつれ、そのような甘い考えは木っ端微塵に粉砕された。地主も大概だが、小作人も同様に、否、下手をすれば地主以上にろくでもない。 なんといってもこの連中は、平気で暴力に訴える。闇討ちを辞さないどころか好き好ん…
暗涙にむせばずにはいられなかった。 私の手元に、『知らねばならぬ 今日の重要知識』という本がある。 志賀哲郎なる人物が、昭和八年、世に著した、まあ平たく言えば百科事典だ。 法律・政治・外交・経済・国防・思想・社会運動。大別して以上七つの視点から、当時の世相を撫で切りにしてのけている。その舌鋒の鋭さは、 今日の戦争は、精神よりも武器である。優秀な武器の前には大和魂も木ッ端微塵である。爆弾三勇士の勇気を称へるのはよい。だが、優秀な武器があったなら、彼の勇士をむざむざ犠牲にせずに済んだらう。(718頁) この一文からでも十二分に察せよう。 著者の本業は法学士という。 なるほど実にそれらしい、渇いた理…
本能寺の変の報を受けた際、黒田官兵衛は秀吉に 「これで殿のご武運が開けましたな」 とささやいた。 ビスマルクもまた、社会主義者の手によって皇帝暗殺未遂事件が発生したと告げられて、咄嗟に口を衝いて出た運命的な一言は、 「よし、議会を解散させろ」 であったのだ。 (ブランデンブルク門付近) 機を見るに敏どころの騒ぎではない。 あまりに、あまりに早すぎる。 凡愚が通常、一ヶ月も経ってからやっと気がつく最適解に、彼らはものの一秒以下で達し得る。 謀略的天才とはこうしたものだ。総身、これ謀智なり。全然予期せざる椿事、どれほど突飛な新局面を突きつけられても、この連中の神経回路は麻痺しない。狼狽などと、無駄…