江戸時代の蘭医。1733年〜1817年。 1771年に前野良沢、中川淳庵、桂川甫周らと腑分け(人体の解剖)を見学、オランダの医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳に取りかかる。1774年、『解体新書』として発刊した。 『蘭学事始』という回想録を83歳で執筆した。 建部清庵との手紙のやり取りをまとめた「和蘭医事問答」などもある。
新装版 解体新書 (講談社学術文庫)
蘭学事始 (岩波文庫 青 20-1)
蘭学事始 (講談社学術文庫)
昨日非不可恨悔 昨日の非は恨悔すべからず 明日是不可慮念 明日の是は慮念すべからず飲与食不可過度 飲と食とは度を過ごすべからず 非正物不可苟食 正物に非あらざれば、苟(いやしく)も食すべからず無事時不可服薬 事なき時は薬を服すべからず頼壮実不可過房 壮実を頼んで房を過ごすべからず勤動作不可好安 動作を勤めて安を好むべからず(養生七不可│「日本衛生文庫第一輯」, p3-16)「養生七不可」は、杉田玄白先生が古希の前年、七つの不に因み書き記された養生訓である。多岐にわたる和漢洋書の引用とともに、医家としての長年の学識と経験に基づいた詳細な解説文が各条文下に続く。七か条の大要は以下の通りである。簡潔…
「医事不自然」(医事は自然に如かず)は、医事に関する様々なことは自然の力に及ばないという意であり、『解体新書』の翻訳事業で知られる江戸時代中期の蘭学者、杉田玄白先生八十五歳の絶筆である。この言葉は人間がかかわる医学・医術・医療が無意味であるという意味ではない。医療者の立場から見れば、全ての医療的介入は自然の治癒力を最大限に引き出すものであらねばならないとの教示である。 かつて理論物理学の大家、湯川秀樹先生揮毫の『荘子』知北遊篇からの一文、「天地有大美而不言、四時有明法而不議、萬物有成理而不説、聖人者原天地之美、而達萬物之理」を大阪大学総合学術博物館で拝見した。大美あるも言わず、明法あるも議せず…
日本医学の発展に大きく貢献した人物 Wikipediaより 皆さん、こんにちは! 今回は杉田玄白に関する雑学をご紹介します! 杉田玄白は、江戸時代の日本を代表する蘭学者であり、医学の発展に大きな功績を残した人物です。 彼の業績は、西洋医学を日本に広めたことで知られ、特に解剖学の分野で大きな貢献を果たしました。 杉田玄白の生涯 杉田玄白は、享保18年(1733年)に江戸(現在の東京)で生まれました。 医師の家系に生まれ育った彼は、早くから医学に触れる環境にありました。 江戸時代中期は、医学の分野においても中国の伝統的な漢方医学が主流でしたが、彼は新しい知識を求めてオランダ語を学び、西洋医学の書物…
杉田玄白 スキル「解体新書」 1軍全体の攻撃力を、(知性/350)%だけアップする。光の旋律(バッハ)の知性版。 杉田玄白を輪廻Ⅴ、Lv100まで鍛えると、知性を大体4800くらいまで上げられます。 4800/350=13.7%くらい一軍の攻撃力をアップします。 こうして計算すると想像以上に弱いですね。 古い英雄なので仕方ないかもしれません。 一時期、芸術性とか知性によって強化される系のスキルが少しだけ流行った時期がありました。 アナスタシア(S5)とかがそうですね。 今は芸術性や知性に連動するスキルは全く出されなくなりました。
下記で「芝西久保巴町」のナンバーくん住所プレートを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 表札ではないが、「西久保巴町」の痕跡を発見したので、今回はそれを紹介することにしよう。発見日 2023年12月25日 発見場所 東京都港区虎ノ門三丁目①巴町45 店舗の中に置かれていた。 「西久保」が抜けているが、かつてここは「西久保巴町45番地」だったのだろう。 「西久保巴町」時代からあったのかわからないが、新しそうなので、違うかもしれない。 何か思い入れがあり、店舗オープンの時作ったのかもしれないと、想像してみる。次はお寺の紹介。 何故? それは、後程わかる。栄閑…
解剖学教室へようこそ養老孟司ちくま文庫2005年12月10日 第1刷発行2020年9月5日 第16刷発行*本書は、1993年6月25日、筑摩書房よりちくまプリマ―ブックスの1冊として刊行されました。 養老先生の『老い方 死に方』で、対談相手だった南直哉さんが解説を書いているという話題ででてきた。 megureca.hatenablog.com 1993年の本だけれど、文庫本となり、今なお増刷されている養老さんの本。図書館で借りてみた。 表紙は、解剖学らしく骸骨さん。そうなのだよ、養老先生は解剖を専門とされたお医者さんなのだよ。。。本の裏には、”どうして解剖なんかするのか。 気味が悪くはないのか…
わずかな手掛かりをもとに、ほとんど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。 出版に尽力した実務肌の相棒杉田玄白が世間の名声を博するのとは対照的に、彼は終始地道な訳業に専心、孤高の晩年を貫いて巷に窮死する。 我が国近代医学の礎を築いた画期的偉業、「解体新書」成立の過程を克明に再現し、両者の劇的相剋を浮彫りにする感動の歴史長編。 江戸の町々に、春の強い風が吹き付けていた。 日本橋に通じる広い道を、中津藩医前野良沢は総髪を風になびかせながら歩いていた。 吉村昭の歴史小説「冬の鷹」 の書き出しです。 前野良沢は、藩医として豊前中津藩中屋敷に住んでいました。現在の東京都中央区明…