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李炳圭

(スポーツ)
いびょんぎゅ

イ・ビョンギュ

プロ野球選手。
通称「赤兎馬」。
左投左打、ポジションは外野手。背番号は9→7→9番。

1974年10月25日生まれ。韓国・ソウル特別市出身。

東国大学校で1996年、MVP獲得。

1997年、ドラフト1位でLGツインズに入団。1年目より活躍。


ツインズ生え抜きのスター選手として人気も高く、1990年代、2000年代の韓国を代表する俊足・巧打者として活躍。

1999年、2000年と2年連続で最多安打を記録。

2005年、首位打者を獲得。

WBCやアトランタ、シドニーと2度の五輪、世界野球選手権(現IBAFワールドカップ)をはじめ、1番打者としての国際試合経験が豊富である。

2007年、FA宣言して権利を行使し、中日ドラゴンズに移籍。後述のこともあって中日ファンの不興を買ってしまう。

2010年、LGツインズに復帰。

中日時代 2007年

入団当初は昨季限りで退団した福留孝介やアレックス・オチョアの後継者*1として期待されたが、シーズン打率.262、盗塁数0(企画数2)と振るわず、また守備の面でも山なりの返球が目立ち、外野の間を抜かれても全力で追いかけない等の批判があった。またシーズン途中で広島東洋カープに入団したアレックス・オチョアが規定打席に到達しないながらも打率3割をマークするなど、攻守に渡って健在であるところを見せ、ファンの李炳圭への不満をますます募らせることとなった。しかし、クライマックスシリーズでは6打点を挙げる活躍で、チームの日本シリーズ出場に貢献。日本シリーズでも5打点を挙げた*2

中日時代 2008年

2008年はオープン戦で、好調なところを見せ、開幕戦から3番に起用された。

開幕6試合連続安打を放つなど、日本の野球に適応してきたと思われたが、調子のピークを過ぎると、打率は急降下していった。打率は2割台前半と助っ人の外野手としては、失格の烙印を押されてもおかしくない状況であるにも関わらずスタメン起用され続け、また中日の首脳陣・フロント更には名古屋のメディアまでもが李炳圭について、否定的なコメントをしないことにファンの不満はさらに募ることとなった。挙句には、『何で李炳圭を使い続けるんですか。特別な契約でも結んでいるんですか』といった内容の抗議の電話が球団事務所に寄せられるといった事態に発展した。*3シーズン終盤になるとヒットを打ち始め打率.250台でシーズンを終えるも、ペナントレースの優勝争いが巨人と阪神に絞られてからの活躍ではあまりにも遅すぎた上に、打率は規定打席到達者中ワースト3位、出塁率はワースト2位という結果であった。また93の三振、左打者でありながら13の併殺でリーグのワースト10にランクインした。さらにゴールデングラブの記者投票において、得票数が0票、盗塁数1(盗塁死2)と走攻守全てにおいて散々な結果に終わった。
そんな李炳圭であったが、今までの起用方法からクライマックスシリーズでも(中日ファンにとって)不本意ながらもスタメン出場するので、もしかしたら、去年のようなことが起きるのでは…と期待されたが、やはりそんなことはなかった。全ての試合で1番ライトで先発出場*4し、27打数6安打、四球による出塁は1回とトップバッターとして、全く機能しなかったといっても過言ではなかった。特に第2ステージの第3戦では9回表、11回表にヒットが出れば、勝ち越しという場面で打てず、6打数0安打四死球0と大ブレーキになり、チームも負けに等しい引き分け*5で、日本シリーズ出場が困難になった。この結果を受けて、今まで沈黙を守っていた中日スポーツでも読者投稿コーナーに李炳圭の批判記事*6が掲載されるなど、第4戦からはスタメン落ちかとファンに一縷の望みを与えたが、1番ライトで出場しファンを大いに落胆させた。この試合では2安打を放ったが、ペナントレースの時と同様に遅すぎたのである。

中日時代 2008年〜2009年 オフ

中日スポーツの企画で2009年シーズンの目標を「全試合出場」という過去2年の成績からして、中日ファンにとって迷惑極まりない目標*7を打ち出し、2009年シーズンも起用され続けるのか、はたまた本人がそう思っているだけか、謎は深まるばかりである。
また、北京五輪に続いて、2009年のWBC韓国代表から落選するなど、中日ファンにとって不本意ではあるが、万全の体勢で2009年シーズンを迎えられそうである。
中日に入団するに際して、2006年当時は円安だったため、年俸を韓国の通貨であるウォン建てにすることを球団側に要求し、これを認めさせた。しかし、2008年に起こったウォンの暴落、世界不況が原因の円高*8のため、年俸をドル建てにするよう球団に要求したが、却下されたことが発覚した。

中日時代 2009年

2009年はオープン戦での不調から、開幕2軍でスタートした。ファームでは高打率をマークし、5月25日に1軍登録されたが、例年通りの冴えないバッティングを披露し、1週間と経たずに2軍降格となった。再びの昇格となったのは8月8日である。この時点で優勝争いは首位巨人、2位中日、3位ヤクルトの三強の争いになっていたが、順調に貯金を増やす巨人に対して、中日は貯金を思うように増やせず、ヤクルトは連敗を喫して、優勝争いから脱落、首位巨人とゲーム差4.5で迎えた直接対決(8月25日〜8月27日)で3試合スタメン出場し、10打数1安打1本塁打1打点*9と殆ど打てず、チームも3連敗し、巨人の優勝マジックが点灯。セリーグのペナントは決着した。9月3日に降格、9月18日に再昇格し、9月20日、21日の巨人戦にスタメン出場し、チームはまたしても3連敗。巨人の優勝を目の前で見るという憂き目に遭う。李炳圭が1軍にいた間にチームは巨人戦6連敗を喫しただけでなく、2ケタあった対広島、対横浜戦連勝もストップした。
また9月20日の横浜戦では、チャンスで凡退、次の回の守りでエラーを犯し、李炳圭に対しては非常に寛容なCBCテレビの実況アナウンサーに「打てない! 守れない!」と言わしめた*10。さらにチャンスで打席が回ってきた際のウグイス嬢のコールに歓声が殆ど湧きあがらずこちらも李炳圭に対しては非常に慈悲深いCBCラジオの実況アナウンサーが「これが李炳圭に対してのファンの期待度を表しているのか」といった発言をするなど、2009年は李炳圭のプレーを見ていた中日サイドの人間が李炳圭を良く思っていないことを匂わせる発言がよく出た年となった*11
2009年のセリーグの観客動員数は中日だけが減少しており、その原因として李炳圭の不可解なスタメン起用を上げる者もいた。
ファーム日本一を決める試合では5番指名打者で出場、3打数ノーヒットで9回の打席では井上一樹と交代させられた。その打席で井上が本塁打を放ち、ファーム日本一に「貢献」した。また、クライマックスシリーズには選手登録されず、出場できなかった。

2009年シーズン終了を以って退団が決まった。退団理由は前述の内容がほとんどを占める。

打撃

早いカウントから打って出ることが多く、好機で初球を打って内野ゴロ・ポップフライといった場面が多く見受けられた。早いカウントでの打率は高い傾向にあるが、その反面追い込まれてからは殆ど打てず、三振数を打数数で割った「三振率」は通算で.235と、ホームランバッターや守備が売りの選手並の数字である。その割に本塁打もそこまで多くなかったとあっては、仕方ないだろう。ヒットが出れば、先制点・勝ち越し・同点といった試合の重要な場面では殆ど打てず、逆に大量リード・大量ビハインドといった場面で、試合の行方に関係ないソロホームランや2死無走者からシングルヒットといった打撃が目立った。短期決戦でも、打率は低かった。
「バット投げが美しい」というところしか褒める点はなかったらしい。

守備

打球を全力で追わない。定位置から本塁まで返球しない(できない?)などの批判が多く、守備範囲が要求されるセンター、肩の強さが要求されるライトには向かない選手だったと思われる。2009年には一塁手にコンバートする考えもあったとされるが、李炳圭本人が「外野手しかやったことがない、ミットを持ってない」と頑なに拒否したと言われている。李炳圭の守っているポジションを「穴」と考え、大事な試合では狙い打つチームもあったと言われている。その他、左翼手が打球を見失ったのに、カバーに入っておらずにランニングホームラン献上、センターフライで1塁走者(セギノール)が2塁に進塁、ライト前ヒットで鈍足走者が3塁に進塁など、エピソードには事欠かなかった。

走塁

盗塁は3年間で1回(盗塁死4)だった。
大量ビハインドの試合で、2塁走者だった李炳圭は外野手の定位置へのヒットで、本塁突入を考えたが、三塁コーチャーがそれを制止、それが三塁コーチャーが走者に触れたと見なされ、「肉体的援助行為」により、アウトになったことがある。

5ツールプレイヤーとして鳴り物入りで入団したが、「打てない 守れない 走れない 肩が弱い 人気無い」であったことが判明した。そのような選手を長く使い続けることによって発生した、若手の育成の阻害やチームの成績の停滞、観客動員の減少などは間違いなく球団にとっての汚点であり、「李炳圭」の名は史上最低の助っ人外国人として忘れてはならない存在と信じて、編集者は編集を終了する。

*1:中日の首脳陣曰く、「走攻守全ての面でアレックスを上回る選手」

*2:しかし、5試合で2安打、打率.111ではやはり誉められたものではない。

*3:雑音消せるか李炳圭

*4:第1ステージの第3戦は初回に死球を受け退場し、中日の勝利に貢献した。

*5:クライマックスシリーズの規定により、同じ勝ち数の場合はペナントレース上位のチームがクライマックスシリーズの勝者になるので、アドバンテージの1勝を含んだ2勝1敗1分になった巨人はこの時点であと1勝でクライマックスシリーズ優勝決定となった。つまり巨人が勝って3勝1敗となったのと何も変わらなかったのである。

*6:代打した平田良介をなぜ李炳圭と交代させず下げたのか、11回表でそこまで5打数0安打だった李炳圭の打席で井上一樹を代打に送るべきだったのでは、など李炳圭起用に対する疑問・不満の記事で読者投稿コーナー全てが埋まった

*7:後に「打率3割 20本塁打」という実現の可否が限りなく否に近い目標を発表している。

*8:2006年12月最終週と2009年1月初頭で、円に対するウォンの価値はほぼ半分になった。

*9:「1本塁打」は第2戦の7回5点ビハインドからだった。

*10:http://www.nicovideo.jp/watch/sm8286205を参照

*11:それでも明らかに緘口令が敷かれているような閉塞感を感じずにはいられなかったが…

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